110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

欲望のウロボロス(丸山圭三郎著)

 最近、丸山圭三郎氏の本を良く読むようになった。
 本作も、ソシュール言語学を起点に様々な思想が展開される。
 1985年に、勁草書房刊行。
 
 今までも、漠然と「言葉」とは何かを考えてきた。
 くだらない事かもしれないが、良く街中で「ここでは××はしないでください」という、禁止もしくはお願いのような、表示にであうことがよくある。
 しかし、何故かしら、これらの「言葉」が無視されていることが、多くなってきているように思われる。
 「言葉」はその力を失っているのではないか?
 そんなことを考えてきた。

 しかし、丸山氏の著作で、間接的にソシュールの思想を読むと「言葉」ありきで、意識や文化が作られたということがわかる。
 そうすると、ある意味、自己矛盾が発生している様にも思う。
 『言葉がある意味人間の柱なのに、言葉の力が軽視されている』
 なぜだろう。

 人間は、言葉を得る変わりに、自然から追放された(いや、自分で出ていったが正しいかも)。
 そして、岸田秀氏の「唯幻論」で言われるように、(自然にある)人間は、本能の壊れた種である。
 ここに、自然から派生しつつ、反自然になっている、人間のある意味、矛盾と、ある意味敏感な人間に訪れる、怖れや苦しみが生まれるののではないか?

 言語学にあまり興味はないのだが、このような、思想が隠れているので、丸山氏の著作、そして、ソシュールの思想に今頃になって惹かれている。
 20年遅れてこんなことを考えている。