近代科学を超えて(村上陽一郎著)
本書は1974年に刊行されたもので、現在は講談社学術文庫で読むことができる。
自然科学に対する批評は、当時よりも薄れてきているようにも思うが、それは、(学問としての)分岐元である哲学の地位が相対的に落ちてきていることなのではないか。
また「自然に帰れ」式の、科学否定は、現在、インターネットやコンピュータという、科学の成果を利用して、その批判をするという、意見と行動の矛盾をきたすことになるだろう。
しかしながら、人間が、ある意味阻害されている事は、いまだに変わりが無いと思う。
そして、その阻害は、社会システムの中に、組み込まれているのでは無いかと思う。
例えば、精神病についてのイメージが、今と昔で変わったこと、より一般的になっているのではないかということが気になっている(多少の、神経症、精神病的症状はあたりまえみたいな)。
科学万能主義は、ある意味「ヒューマニズム」との関連性が見えてくる。
ただ、逆説的には、その人間の特権性が科学を進歩させてきたことも事実だ。
さらに、それ以前は、自然というものに凌駕されて、生存するために、自然と戦った経緯から、自然をコントロールするという欲望もある程度あるのだろう。
しかし、環境問題など、自然にたいして、うまく共生していかなければいけない課題もあるだろう。
また「自然に帰れ」式の、科学否定は、現在、インターネットやコンピュータという、科学の成果を利用して、その批判をするという、意見と行動の矛盾をきたすことになるだろう。
しかしながら、人間が、ある意味阻害されている事は、いまだに変わりが無いと思う。
そして、その阻害は、社会システムの中に、組み込まれているのでは無いかと思う。
例えば、精神病についてのイメージが、今と昔で変わったこと、より一般的になっているのではないかということが気になっている(多少の、神経症、精神病的症状はあたりまえみたいな)。
科学万能主義は、ある意味「ヒューマニズム」との関連性が見えてくる。
ただ、逆説的には、その人間の特権性が科学を進歩させてきたことも事実だ。
さらに、それ以前は、自然というものに凌駕されて、生存するために、自然と戦った経緯から、自然をコントロールするという欲望もある程度あるのだろう。
しかし、環境問題など、自然にたいして、うまく共生していかなければいけない課題もあるだろう。
本書の結びでは
・・・新しい技術は、単に従来のごとき性格を備えるごとき性格を備えるだけでは足りず、それに加えて、政治・思想・倫理などの人間などの人間に関するあらゆる側面を、一つの普遍的合意へと導いていくような種類のものでなければなるまい。・・・
として、人文科学や社会科学との関連性を示唆しているようだ。 さて、この先はどうなっていくことやら、凡夫(私)には分からないだろうな。