110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読(今村仁司著)

 ベンヤミンの小論精読シリーズをもう一冊発見したので読んでみる。
 これは、岩波現代文庫に収められている。

 解説は。今村氏によるもので、とても丁寧で分かりやすい。
 この「歴史哲学テーゼ」は18の断章から構成される小論だが、ベンヤミンの突然の死によって中断された著作のための覚書と考えられるもので、氏の歴史哲学に対する思索が凝縮しているものだと考えられている。
 ここで、今村氏は、この小論を、4つの視点に分類して、解説をおこなっている。
 それは(1)神学の理念(2)認識の可能性の理念(3)解放の理念(4)歴史的時間の概念の4つだ。
 詳細は、今村氏の解説を読んでいただく方が良いので、考えたことを少し・・・・

 人間は「やすみなく廃墟の上に廃墟をつみかさねて」いる(カタストローフな)存在だという。
 とても、冷徹な視点だと思うが、非常に現実的な見方だと思う、そして、その廃墟の中にある、過去の遺物を、現在に呼び戻し、蘇らす操作が、歴史的哲学の認識の一つだということだ。
 言葉を変えると、過去の表にでなかった歴史が、あるとき、表に出てくることがあるということだ。
 本書では、歴史的時間について解説しているところで、ベンヤミンは、ハイデッガーの様に、未来に置ける「死」を元にする時間性ではなく、過去に重点を置く時間性を考えているようだとしている。
 (ここまで、書いてきて、それは「なんのこっちゃ」と思ったので、再度読んでみると。)
 ハイデッガーは、未来に対して、現在の自分を投企することを意図しているが、ベンヤミンは過去に実現しなかった廃墟(望みが)現在に寄託されたものを実現させようとする事を意図している。
 たどたどしい解釈でもうしわけないが、ベンヤミンの思想は、「現在」が、この本のことばを借りれば「いまーこそーそのーとき」に、過去の望みに対する「何か(行動など)」を起こす事を考えている。
 極論をいえば、ベンヤミンには、未来というものが思索に無い(観念が薄い)ということではないか。
 「いまーこそーそのーとき」が終点なのだ(それは、移動するのだが)。
 
 以前紹介した「複製芸術作品の芸術作品」について、ベンヤミンは、新しい動き、技術に対して、意外と肯定的にすんなり受け入れている様に感じたが、その根底にあるのは、本書で解説された、歴史的時間の考え方があるのではないだろうか、その時に、現在のブログというシステムは、昔でいう新聞の投書欄に似ているとコメントしたが、もしかすると、そういう見方なのかもしれないと思った。

 うーん、しかし、ハイデッガーの時間論と異なるとなると、また悩みのタネが増えるなぁ・・・。
 「廃墟をつみかさねる」には共感するものがあるし。