反哲学史(木田元著)
本書は1995年に刊行された、今は、講談社学術文庫で読むことができる。
反哲学とは何かというと、
と高飛車に出たが、実際本書は読みやすいので、気楽に読める本である。
論点は(当然私的な解釈だが)「自然」の定義のしかただと思う。
「自然」は人間が安易に利用して良いものかどうか、人間に従属するものとして考えて良いのかどうか、というところに何か問題点が有ると思う。
反哲学とは何かというと、
・・・「反哲学」も -規模ははるかに壮大ですが- 西洋二千五百年の文化形成を導いてきた「哲学」という知の様式を解体しようという企てなのです。・・・
すごい事を行おうとしているかに見えるが、その前の方では 一般に今世紀の哲学者たちは、奇妙な話ですが、自分たちのおこなっている思想的営みを「哲学」と呼ぼうとしません。彼らが目指しているのは、むしろ「哲学の解体」なのです。つまり、彼らは「哲学」というものを「西洋」と呼ばれる文化圏におけるその文化形成の基本原理とみなし、この西洋独自の思考様式を批判的に乗り越えようと目指しているわけです。・・・・
本書では、20世紀から現在も続く、哲学の、批判、再構築の前提としての、ソクラテス以前から、20世紀直前のニーチェまでを射程にして、プラトン、アリストテレスでその定義を完成したと思われる「哲学」が「反哲学」化する歴史を追いかけるという著作である。と高飛車に出たが、実際本書は読みやすいので、気楽に読める本である。
論点は(当然私的な解釈だが)「自然」の定義のしかただと思う。
「自然」は人間が安易に利用して良いものかどうか、人間に従属するものとして考えて良いのかどうか、というところに何か問題点が有ると思う。