終わりの始まり(塩野七生著)
「ローマ人の物語」の単行本の第11巻目にあたる。
10巻目までは、経済的な理由で「文庫本」で読んでいたがあと2,3年待って全部を刊行されるのを待つつもりは無い。
私が本当に歴史に興味を持ち始めたのは「総裁選挙」だった。
小泉元首相は何故「靖国参拝」するのか、何故「中国」などの近隣外交を(表面上だけかもしれないが)悪化させているのか?「財政赤字」はどうするのか?
そして、時期「総裁(首相)」は誰なのか?という様な事を「もわっ」と考えている時に「読み始めた」のがこの「ローマ人の物語」なわけだ。
それまでは「ビジネス書」を読んでいたが、その中でも読んでいて楽しいのは「起業」して成功する物語、それは「松下」であり「ソニー」であり「ホンダ」でありというようなもの(少し古いか?)。
また、それと対比して(余り良い趣味ではないが)興味深いのは「何故失敗したか」を書かれたもの。
例えば、倒産した会社ならば「山一證券」「拓銀」、ちょっと変わったところで「ハイパーネット」は元社長自ら倒産分析をした。
最近では「日産」が地獄と天国と・・・(今はどうかな?)を見た様な気がする。
「ローマ人の物語」も本巻から「興味深い」時勢(フェーズ)に入っていく。
さて、そういう意味で、本書は、ある意味国の「統治」という事で言えば最高だと言っても良かった「ローマ帝国」がこの巻の時代(紀元2世紀後半)を境に下り坂に向かうという事になる。
ここでは、賢帝といわれた時代の中に、その発端があると塩野さんは指摘している。
「アントニウス・ピウス」の時代は、言葉は悪いが「統治(経営)システム」が良好に機能していたため、最低限の管理意外何もしなくても良かった時代であった。
そのため「マルクス・アウレリウス」は「軍事」に関する教育を受けていなかった。
その後、皇帝に就任した後は、不運にも、様々な問題(疫病、襲撃、反乱)の対応に追われることになる。
また、この時期、鉄壁を誇る「防御線」を一度破られると言う事件が起こる。
それらの、問題をこの皇帝は手を抜くことなく誠実に対応していく、まさに「ストア哲学」の影響を受けた「哲人皇帝」なわけだ、しかし、最後は、その軍事経験の浅さも出て「戦闘」を終結できないまま「戦地」で死亡する(「戦闘」の才能はなかったのではという指摘もあった)。
ここで、考えたのは、平和の長期化よる軍隊の弱体化であり、更にそれが、長期にわたる(世代交代する)と「指揮」をする人材自体がいなくなることへの危惧。
この、平和で安定していた時期の「軍人」と「文民」のバランスは、「文民」に偏りすぎたところがあったようだ。
さて、その後は、彼の息子の「コモディウス」に引き継がれるが、彼は、父の望み「現在の戦闘を終結させて欲しい」の願いを聞き入れず、ローマに引き返す(和平はするが)。
その後、暗殺の陰謀に巻き込まれて、やる気を失い「政治」に興味を失い、側近の讒言で罪の無い人まで粛清するような事をしでかす。
最後は、その側近に殺されてしまう。
ただ、戦争をしなかったので「財政」は豊かになったようだ(これは、特筆するべきことか)。
その後は、正当後継者がいなくなり、内乱が発生したが、最後に残り皇帝になったのがのが「セプティミウス・セヴェルス」で、それまでは「近パンノニア」の総督だった、いわゆる「軍人」だ。
彼の採った政策は「軍備」の強化、軍人の待遇改善であった。
しかし、そのために「防衛費」が嵩むこととなった他、「専業軍人(リタイアしない軍人)」が出現し、一転政治バランスが「軍人」に重きを置くことになった。
それは、その後「軍事」尊重に傾く可能性を示唆している。
そして、この皇帝は、イギリス(ブリタニア)の戦役の最中に死亡する。
もしかしたら、この皇帝は、起元1世紀ごろのローマ帝国を再現したかったのかもしれないと思う。
しかしながら、状況は、その当時とは内外ともに変化しているという事になる。
さて、次巻以降はどうなるのか?
歴史ものを読んでいると「その事件」の発端は、その当時の人には「意識できない」時期にはじまっていることに気づく、今回の「安倍政権」も多分ご本人は周到な「根回し」の上に取り組んでいるのだろうが何が起きるかは余談が許さない(と私は思う)。
ぼちぼち「失われた」と言われた10年(1990年代)に何かその種子が無いか、つぶさに観察することが必要な時期かもしれない。
人間は過去の記憶を引きずるものだから。
10巻目までは、経済的な理由で「文庫本」で読んでいたがあと2,3年待って全部を刊行されるのを待つつもりは無い。
私が本当に歴史に興味を持ち始めたのは「総裁選挙」だった。
小泉元首相は何故「靖国参拝」するのか、何故「中国」などの近隣外交を(表面上だけかもしれないが)悪化させているのか?「財政赤字」はどうするのか?
そして、時期「総裁(首相)」は誰なのか?という様な事を「もわっ」と考えている時に「読み始めた」のがこの「ローマ人の物語」なわけだ。
それまでは「ビジネス書」を読んでいたが、その中でも読んでいて楽しいのは「起業」して成功する物語、それは「松下」であり「ソニー」であり「ホンダ」でありというようなもの(少し古いか?)。
また、それと対比して(余り良い趣味ではないが)興味深いのは「何故失敗したか」を書かれたもの。
例えば、倒産した会社ならば「山一證券」「拓銀」、ちょっと変わったところで「ハイパーネット」は元社長自ら倒産分析をした。
最近では「日産」が地獄と天国と・・・(今はどうかな?)を見た様な気がする。
「ローマ人の物語」も本巻から「興味深い」時勢(フェーズ)に入っていく。
さて、そういう意味で、本書は、ある意味国の「統治」という事で言えば最高だと言っても良かった「ローマ帝国」がこの巻の時代(紀元2世紀後半)を境に下り坂に向かうという事になる。
ここでは、賢帝といわれた時代の中に、その発端があると塩野さんは指摘している。
「アントニウス・ピウス」の時代は、言葉は悪いが「統治(経営)システム」が良好に機能していたため、最低限の管理意外何もしなくても良かった時代であった。
そのため「マルクス・アウレリウス」は「軍事」に関する教育を受けていなかった。
その後、皇帝に就任した後は、不運にも、様々な問題(疫病、襲撃、反乱)の対応に追われることになる。
また、この時期、鉄壁を誇る「防御線」を一度破られると言う事件が起こる。
それらの、問題をこの皇帝は手を抜くことなく誠実に対応していく、まさに「ストア哲学」の影響を受けた「哲人皇帝」なわけだ、しかし、最後は、その軍事経験の浅さも出て「戦闘」を終結できないまま「戦地」で死亡する(「戦闘」の才能はなかったのではという指摘もあった)。
ここで、考えたのは、平和の長期化よる軍隊の弱体化であり、更にそれが、長期にわたる(世代交代する)と「指揮」をする人材自体がいなくなることへの危惧。
この、平和で安定していた時期の「軍人」と「文民」のバランスは、「文民」に偏りすぎたところがあったようだ。
さて、その後は、彼の息子の「コモディウス」に引き継がれるが、彼は、父の望み「現在の戦闘を終結させて欲しい」の願いを聞き入れず、ローマに引き返す(和平はするが)。
その後、暗殺の陰謀に巻き込まれて、やる気を失い「政治」に興味を失い、側近の讒言で罪の無い人まで粛清するような事をしでかす。
最後は、その側近に殺されてしまう。
ただ、戦争をしなかったので「財政」は豊かになったようだ(これは、特筆するべきことか)。
その後は、正当後継者がいなくなり、内乱が発生したが、最後に残り皇帝になったのがのが「セプティミウス・セヴェルス」で、それまでは「近パンノニア」の総督だった、いわゆる「軍人」だ。
彼の採った政策は「軍備」の強化、軍人の待遇改善であった。
しかし、そのために「防衛費」が嵩むこととなった他、「専業軍人(リタイアしない軍人)」が出現し、一転政治バランスが「軍人」に重きを置くことになった。
それは、その後「軍事」尊重に傾く可能性を示唆している。
そして、この皇帝は、イギリス(ブリタニア)の戦役の最中に死亡する。
もしかしたら、この皇帝は、起元1世紀ごろのローマ帝国を再現したかったのかもしれないと思う。
しかしながら、状況は、その当時とは内外ともに変化しているという事になる。
さて、次巻以降はどうなるのか?
歴史ものを読んでいると「その事件」の発端は、その当時の人には「意識できない」時期にはじまっていることに気づく、今回の「安倍政権」も多分ご本人は周到な「根回し」の上に取り組んでいるのだろうが何が起きるかは余談が許さない(と私は思う)。
ぼちぼち「失われた」と言われた10年(1990年代)に何かその種子が無いか、つぶさに観察することが必要な時期かもしれない。
人間は過去の記憶を引きずるものだから。