江戸人の生と死(立川昭二著)
本書は1989年筑摩書房刊行のもの、現在はちくま学芸文庫で読める。
既にお気づきの人も多いのだろうが、明治、大正、昭和の初期は、日本という国のある意味特殊な時代で、意外と江戸時代と現代に共通する部分が見えてきたりすることがある。
更に、さかのぼると、文献が少なくなり、今度は追跡不能になるような気もする。
そんなわけで、江戸人の死生観を、その数少ない事例である、日記など現在も残る文献から見出そうとするのが本書の内容となる。
神沢杜口、杉田玄白、上田秋成、小林一茶、良寛、滝沢みち(滝沢馬琴)などについて、その最期の記録を追いかける。
本書の中に、日本人の現世主義を指摘して、現在の考え方に似ている部分があるという記述もあるが、その反面、養老猛司氏の指摘のように、現在は「死が隠されている」ことを実感する部分も多い。
つまらないことかもしれないが、江戸時代の人は、おうちで死ぬのだ。
そんなことを考えてしまった。
既にお気づきの人も多いのだろうが、明治、大正、昭和の初期は、日本という国のある意味特殊な時代で、意外と江戸時代と現代に共通する部分が見えてきたりすることがある。
更に、さかのぼると、文献が少なくなり、今度は追跡不能になるような気もする。
そんなわけで、江戸人の死生観を、その数少ない事例である、日記など現在も残る文献から見出そうとするのが本書の内容となる。
神沢杜口、杉田玄白、上田秋成、小林一茶、良寛、滝沢みち(滝沢馬琴)などについて、その最期の記録を追いかける。
本書の中に、日本人の現世主義を指摘して、現在の考え方に似ている部分があるという記述もあるが、その反面、養老猛司氏の指摘のように、現在は「死が隠されている」ことを実感する部分も多い。
つまらないことかもしれないが、江戸時代の人は、おうちで死ぬのだ。
そんなことを考えてしまった。