110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

混沌からの表現(山崎正和著)

 本書は1977年PHP研究所刊行のもの、現在ではちくま学芸文庫判で読むことが出来る。

 この本については、この著者の「社交する人間」というを大三元さんのブログで知って興味を持っていたので、同じ作者の本書がたまたま(なんと)古本で見付かったので「予習」をすることになった。
 「社交」というキーワードでは本書でも表れていることから、この考えは、山崎氏の「核」になる考えなのだろう。

 本書では、以下の部分が気になったところ。
 考えてみれば、「貿易立国」を国是とする以上、日本は本質的に、国そのものが新興商店街なのだといえる。資源がなく、人口ばかり多い国が飢えずに生きて行こうとすれば、国全体を都市化して第三次産業に生きるほかはないからである。かつて、いわゆる「石油危機」に狼狽して、日本の繁栄は結局フィクションにすぎなかった、という嘆息の声を聞いたことがある。そういう声を聞くたびに、私はむしろその無邪気さに驚くのだが、そんなことはもう何十年も前にわかっていたことなのである。だいたいこの貧しい列島のうえに、一億の人間が飢えもせず生きているということ自体がフィクションではないか。世界中の資源を右から左にただ動かし、広義の知恵とデザインとサービスという「虚」なるものを世界中に売りつけ、それでようやく一億の人間がこの二十年を生きてきた。日本の存在そのものが、アラブの油とアメリカの農業の上に咲いた「ひよわな花」であることは、いっさいの議論の大前提なのである。

 山崎氏は、日本の歴史としては、室町時代を評価しているようだ、その反面、江戸時代はどちらかというと批判的であるように思う(「室町時代」対「江戸時代」)。
 さて、そういう見地から見ると、それらを、現代に照らしあわせて考えるヒントがあるように思う。
 そこに、1977年(本書)から2003年(「社交する人間」)へと著作(思想)を遡るという楽しみが生まれる。