110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

近代の擁護(山崎正和著)

 本書は1994年PHP研究所刊行のもの、神保町の古本屋にこっそり埋もれていた。
 今から、14年程もまえの社会状況からかかれたもので、当時の世相に関わる話題はとりあえず置いとくとして、本書の題名にもある近代(モダニズム)を擁護するという、視点が鋭い点だ。
 一時期、ポストモダンとはなんだろうかという問いかけをしていた時期があるが、山崎氏は、ポストモダンという思想にたいして、必ずしも、近代というものが否定されるものではないという主張をする。
 のっけから、「第一章 イデオロギー復活のすすめ」「第二章 人間中心主義の再評価」など、挑戦的な表題に対抗するつもりで読み進めていくと、最後には「こういう考え方もあるな」と納得してしまう部分も在る。
 例えば、イデオロギーについても、一元的、悪くいえば、単純な思想体系による弊害は、既に20世紀初頭に出現し、現在の、もっと多様性がある世界では、一元的な思想を、その多様性により相互批判する体制になっているので、イデオロギーの弊害の発生する可能性は低く、反面、ばらばら荷存在する、その多様性を帯びた世界を、ひとつにまとめるために、イデオロギーが必要なのでは無いかという考え方が伺える。

 「近代」という言葉には、整理の付いたもの、終わったものというイメージがある。
 特に「ポストモダン」なる言葉により、実態よりも、表面的な、記号的な意味で、直感的に理解してしまうような部分は確かにある。
 しかし、近代を全て否定することはできない、歴史的にも、まだ、その恩恵に預っている面もたくさん残っているだろう、そういう良い面も丁寧に考えていくことも重要では無いのだろうか。

 そして、本書が刊行された時には、まだ実態がなかったことが現在発生しているのだ。
 それは、中国、インドが、明らかに近代化して来たのだ、この両者の世界的な規模でのインパクトは、とても「ポストモダン」とは言えない、ある種の可能性を秘めているのでは無いか?
 さて、これを、どうとらえようか?
 本書の題名になぞらえて言えば「近代の逆襲」か?
 この逆襲に対しては、20世紀の経験を生かして、乗り切ることはできるのだろうか。