110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

現人神の創作者たち(山本七平著)

 本書は1983年の文藝春秋社から刊行されたもの、私は、ちくま文庫版で2007年に再刊されたものを読んだ。

 明治時代から昭和の終戦まで、現人神思想はそこに厳として存在していた、しかし、ふと目線をさらにずらしてみると、そこには江戸時代があり、朝廷、幕府という一見すると対立する図式が見て取れる、しかも、江戸時代では、幕府の力が実質優勢でもあった。
 しかし、それでは、その反発として、単純に大政奉還、現人神が突如発生するというのもおかしな話だ、それは、備わるべくして、どこかで温められていた思想では無いのか?
 山本氏は、そういう、気の遠くなる「現人神(思想)」を丹念に追いかけていく、それは、江戸時代に思想的に優勢を占めた「朱子学」の中にその種子が発生し、「忠臣蔵」という果実を(それは偶発的な事件だったかもしれないが)引き起こした。
 「朱子学」と「忠臣蔵」に置ける思想の矛盾、そして、「忠臣蔵」を本来否定する立場の幕府が、それを政策的に肯定したとき、再び、朝廷指向の思想が浮上してくる。
 
 日本という国は、歴史的に大きな障壁を何度も乗り越えている、しかし、その時の精神的(思想的)な衝撃が少ないのはなぜだろうか?
 それは、そういう精神・思想を清算しないまま、抑圧(消す)してしまうと本書では指摘しているように思われる。
 それは、深層心理のように、見えない形で、影響を及ぼす点では、侮れない存在だと言える。
 すなわち、その矛盾は、長い時間を掛けて面化してくるのだ、しかし、その時には、なぜその矛盾が発生したのかは、分からなくなっている(対応不能になっている)。
 本書では、そのことを「現人神」という比喩を用いて、戦後の日本という社会に投影しているようにも思える。

 戦後の社会は、あたかもそれまでの事を、何か愚劣(野蛮)な思想・行為だと決めているようだが、その反面、明治以降の急速な近代化は、とても、愚劣な民衆に達成できることでは無い(そういう趣旨の文書が本書の中にある)。
 そのような、表見的に矛盾することは、いわく精神史といわれるように人間の行為の多面性を表しているように思う。
 現在、発生している事(件)の裏には、たくさんの思想(何か)がこびりついているのだろう?

 ちなみに、文庫版で上巻を読み終えたのは、今年の1月29日、下巻読了が本日という、めずらしい読み方をしてしまった(上巻のことはすっかり忘れている)。
 記録を調べるとその間には40冊程、別の本が入っていた。
 本作はとても優れてであることは間違いない、それに対して、随分いい加減な読み方をしてしまった・・・反省。