本書は1998年
原書房刊行のもの、現在はちくま学術文庫版で読むことができる。
非常に抵抗感のある題名の本だが、読んでみると、その(社会的な)重要性に気づく著作であることがわかる。
第二次世界大戦までは、前線に赴いた兵士のうち80~85%は、相手に向かって発砲しなかったという事実、それが、
ベトナム戦争では、5%程度までその比率が低下したこと、ここに目的合理性ということに対する問題があるように思う。
・・・ともかくいま問われるべきなのは、親たちが持ってゆかなかった銃を、なぜいまの子供たちは学校に持ってゆくのか、という問題なのである。この問題の答えはおそらくこういうことだ。現代戦での殺人、そして現代
アメリカ社会での殺人、それに絶対欠かせない、新しくて異質なきわめて重要な要素のせいだ。つまり、同種の生物に暴力的に被害を及ぼすことへの抑制、健全な個人がみな備えていて、太古の昔から伝わる
心理的な抑制が、いま体系的なプロセスよって破壊されつつあるということだ。・・・
最近、日本でも「不思議(異常)」な殺人事件が増えてきた。
様々な要因があるのだろうが「誰でも良い」という発言から考えると、他者をある意味「同種の生物」とみなす事を、意図的に抑圧しているような気がする。
それは、
ニーチェの「
ニヒリズム」を思い起こすし、ある意味、日本が望んでいた「
アメリカナイズ」の実現でもあるのではないだろうか?