ギリシャ文化の深層(吉田敦彦著)
本書は国文社1984年刊行のもの、古本屋で安価に手に入れた。
本書のようなジャンルは、流行廃りが無いので、興味があればどのようなタイミングでも読むことができる。
以前、このギリシャ文化の時代、特に、神話については、ただただ荒唐無稽のものと思っていたが、たとえば、イソップやグリムといった童話がそうであるように、ある意味、哲学的なこと、くだいて言えば、「どう生きるのか」みたいなことが(実証済みで)描かれている。
本書でもデルポイの箴言(「汝自身を知れ」等)や、パンドラ、ディオニュソスについて取り上げているが、それぞれが、人間というもののに対する深い洞察を表している。
そこには、自然と文化・文明といったものを対置して、そのいずれにも含まれてしまう、人間というものについて、そのモイラ(分)を超えないようにと、訴えかけてくるものがあることに気づく。
「汝自身を知る」ことは、他者を知ることだと思う、そして、他者を知ることができないことに気づくことが、自分というものを考える契機となるようにも思う。
本書の冒頭では、ギリシャ喜劇が取り上げられているが、その後の各章とは対比する形で、(天上の)神々を愚弄するそのバイタリティに驚きつつも、その劇中の狂騒の中に、かつてあったとされる、伝説上のユートピアを夢見ているのは、現代も変わっていない傾向なのかもしれない。
本書のようなジャンルは、流行廃りが無いので、興味があればどのようなタイミングでも読むことができる。
以前、このギリシャ文化の時代、特に、神話については、ただただ荒唐無稽のものと思っていたが、たとえば、イソップやグリムといった童話がそうであるように、ある意味、哲学的なこと、くだいて言えば、「どう生きるのか」みたいなことが(実証済みで)描かれている。
本書でもデルポイの箴言(「汝自身を知れ」等)や、パンドラ、ディオニュソスについて取り上げているが、それぞれが、人間というもののに対する深い洞察を表している。
そこには、自然と文化・文明といったものを対置して、そのいずれにも含まれてしまう、人間というものについて、そのモイラ(分)を超えないようにと、訴えかけてくるものがあることに気づく。
「汝自身を知る」ことは、他者を知ることだと思う、そして、他者を知ることができないことに気づくことが、自分というものを考える契機となるようにも思う。
本書の冒頭では、ギリシャ喜劇が取り上げられているが、その後の各章とは対比する形で、(天上の)神々を愚弄するそのバイタリティに驚きつつも、その劇中の狂騒の中に、かつてあったとされる、伝説上のユートピアを夢見ているのは、現代も変わっていない傾向なのかもしれない。