大学・中庸(朱子~金谷治訳注)
本書は、岩波文庫版で、「大学」「中庸」の二編を収めた合本。
「中庸」という言葉には心惹かれるものがあるが、やっと、その元を読んだ形になった。
さて、それにしても疑問は残る「中庸」と「中道」の差異についてだが、まぁ、あまり深入りしないことにしたい。
中庸について見ると、最初のうちは、まさに「中庸」についての論が中心で、過ごさず、及ばざる、ことであり、それが後半は「誠」という概念になる。
後半の「誠」は未だ把握していないので、「中庸」について言えば、ちょうど、今行われているオリンピックの各選手を見ていて思うところがある。
それぞれの種目に参加する代表は、ある意味、すごい力量を持っているはずだが、オリンピックで力を出せる人、出せない人がいる、これを考えると「中庸」であることが難しいことが、おぼろげながら分かるような気がする。
自分の身体が、自分の意思の下で、動くのならば、そこで平常心を維持することの難しさがあるように思う。
「中庸」という言葉には心惹かれるものがあるが、やっと、その元を読んだ形になった。
さて、それにしても疑問は残る「中庸」と「中道」の差異についてだが、まぁ、あまり深入りしないことにしたい。
中庸について見ると、最初のうちは、まさに「中庸」についての論が中心で、過ごさず、及ばざる、ことであり、それが後半は「誠」という概念になる。
後半の「誠」は未だ把握していないので、「中庸」について言えば、ちょうど、今行われているオリンピックの各選手を見ていて思うところがある。
それぞれの種目に参加する代表は、ある意味、すごい力量を持っているはずだが、オリンピックで力を出せる人、出せない人がいる、これを考えると「中庸」であることが難しいことが、おぼろげながら分かるような気がする。
自分の身体が、自分の意思の下で、動くのならば、そこで平常心を維持することの難しさがあるように思う。