110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

選択という幻想(A.Bシュムークラー著)

 本書は1997年青土社刊行のもの、珍しく、どちらかというと経済関係の著作。

 本書が実際執筆された時期は、1990年頃、このときは、アメリカという国が、日本を筆頭にする諸外国に追い上げられ、経済的、精神的(国に精神性があるならばだが・・・)に疲弊していた時のもの。
 本書をを読み始めたのは、いくつか理由がある。
 私は、自分から映画を見に行くことはないので、TVで放映された時にはじめてその作品に触れることになるのだが、「マトリクス」という一連のシリーズで、本書で話題になる「選択(翻訳なので英語では何と言っているかは不明)」という言葉が出てくる。
 この「選択」という言葉が、この映画の特殊な環境の中で「自由」を暗示していることが気になった。
 いわく、選択が出来る事がプログラムされているのならば、それは自由であろうか?

 さて、本書を立ち読みしたときに、まさに、この疑問が繰り返されていた。
 趣旨はこうだ、市場経済は、一見「選択の自由」を個々人に与えているようだが、その実、市場と言う人為的に創作されたものが、ある強制力を持って人間の行動を支配する。
 このフレーズは、特に1990年代にしても目新しい考え方ではないと思われる。
 ただし、こういう考え方を、余り哲学・思想の色をつけずに本にしたことが面白く思われた。
 
 いわく、私たちは、食べるものは安価に手に入れている(穀物価格が上がろうと、日本ではお腹いっぱい食べられる人の比率は多い)、でも、昔ながらの風景や倫理観などはどんどん喪失する、その結果は、ビジュアルな面では(回復不能な)環境破壊が進む、倫理観が後退するなど・・・。
 
 本書を読んでいると、丁度、1990年代のアメリカの状況が、閉塞感がでてきた現在の日本の状況に重なってくる。
 以前はアメリカキラーだった日本も、中国やインドを脅威として感じるようになった(アメリカは現実として経済(GDP)を日本に抜かれなかった、しかし、日本は確実に追い越されつつある)。
 かつては、恐れられていた(本書では、日本は「勤勉」の国とされる)も、今は、そのキャッチフレーズを下ろさなければならない。
 
 市場、経済成長というものに拘泥しない、新たな道を探せないだろうかという趣旨の本である。

 ところが、これが、現在ではなかなか難しくなっているように思える。
 本書の著作段階では、著者は、「アメリカの経済」というように一国の範囲内で論旨が進む、ところが、昨今は、よくも悪くもグローバル化した経済圏となっていると思われるので、単に一国に経済政策レベルで統制が出来る状況にないのではないかと思う。

 それは、市場経済の20年の進歩であろうか?
 
 幸福(言葉は陳腐だなぁ)と言うものはどうあることなのか、(多分それぞれの人で異なると思うが)考えてしまった・・・すると、意外と現在は幸せのような気がしてきた。