110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ヴェニスの商人の資本論(岩井克人著)

 本書は1985年筑摩書房から刊行された、現在はちくま学術文庫版で読むことができる。

 少し前に氏の「貨幣論」を読んで、久しぶりに、経済関係の人でも面白い本を著す人がいることに気づき、古本屋ではよく見かける本書を読んでみる気になった。
 経済学の範疇なのだが、ベストセラーである、既に読まれた人も多数いるでしょう。

 内容は、大変参考になった、経済学というと、学校で習った段階では、何か胡散臭い、現実感のないものというイメージがあったが、本書では、その胡散臭さとともに、そのようにその胡散臭さを解消するべく、どのように対応していくのかということの、非常に初歩的な方法論が分かりやすく説かれている。
 経済学では(他の学問もそのような傾向はあろうが)問題を一般化・抽象化するに及んで、多数の条件を省く、いわゆる、理想状態を想定する。
 その、理想状態では、経済は非常にバランスのとれた挙動をしめす、荒っぽく言えば「神のみえざる手」による均衡が出現する(形而上学ですよね)。
 ところが、本書では、そのような理想状態が、現実には非常に稀な事例であり、もし、経済外用件による歯止めがなければ、無限に、デフレやインフレが進行するモデルの方が、現実的であると書かれる。
 そこには、プラトンの「イデア論」、すなわち、幻想(信念とか宗教とか理想とか・・・)があるということが言えるのでは無いだろうか。
 
 さて、本書は、1980年代の論文が多いが、その後、20年以上経過した、資本主義、市場経済、貨幣管理などの、コントロールはより精細になっていると思うのだが、ご存知のように、現在のアメリカ金融界の破綻(本当の破綻かどうかはなんとも言えないが)による、世界的な不況が予想されている。
 これは、資本主義、貨幣経済のひとつの限界を示しているのだろうか、それとも、当時は一国(アメリカ)のレベルでコントロールできた貨幣(通貨)市場が、昨今、言葉を耳にする「グローバリズム」の本来的な成熟により、既に、(一国では)コントロール不能状態になってしまったのだろうか?
 貨幣というものも、長い歴史を経て、当初の目的と異なり、私たちを支配する「モノ」になったが、これが更に深化すると、人間が作り出した「モノ」でありつつ、自分の手に負えない「モノ」になってしまうのではなかろうか(なんか、弁証法している)?

 ちなみに、それ(貨幣)は「神」と名づけても良いのではないだろうか(すでに信者は多数存在しているようだが)?

 まぁ、そんなことを考えてしまう。