110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

砂の女(安部公房著)

 本書は1962年新潮社刊行、新潮社文庫版で読む。
 確か、最近TVでも放映されたと思う、そのドラマは拝見していないので、どのような脚色をされたかは不明だ。
 本書を読んでいると、1962年(昭和37年)という社会から、砂の世界への移行が伺える。
 その当時は、いわゆる「エコノミックアニマル」なる言葉が生まれるような、(失礼な表現かもしれないが)非人間的な社会が想定されていたのではないか?
 そこから、一見して、更に劣悪な環境である「砂の世界」への移行は、悲惨な状況の様に思えるのではないだろうか?
 しかし、本作の「男」は、そこに安堵の地を見出し、まさに「希望」すら見出すのだ。
 著者の思惑は、私には知る由も無いが、「人間阻害」された社会に対する何かメッセージを送っているようにも思える。

 さて、本書の「砂」とはなんであろう?
 (あくまで私見だが)ひとつは「時間」ではないかと思う、人間は、時間をつぶしながら生存しているようにも思う、その時間が「砂」として実体化したもの、それが、まとわりつき、生存を脅かすのならば、一生懸命掻きださずにはおけないだろう。
 そして、もうひとつは、ハイデッガーの言う、死を前にした「不安」が表象・実体化したものとも思える。

 一見、自由を拘束された、特異な「砂の」世界の中に、希望が現出するということは、その反対に、自由な世界の中に、希望を見出せないという考えかたもあるのではないだろうか?

 さて、この砂の世界は、ある時点で止まっている、私たちは未来の視点から、本書の先を読み込めるだろう。
 それは、30年後(1992年)の砂の世界であり、高齢化した男と女が、相対的に重労働に喘ぐのだ。
 そこには、新たな問題「高齢化社会」が現出していることだろう。
 この社会=世界を支えるだけの、子孫は残せているのだろうか?

 ふと、そんなことを考えてしまった。