パスカルにおける人間の研究(三木清著)
本書は1926年、岩波書店から初版刊行のもの、私は、改版後1975年版を読む。
岩波文庫版もあり、安価に読めるようだ。
全体的な感想としては、良い本だと思う。
パスカルの思想を通して、実存的な思想に導入されていくように感じた(ただし、パスカルから実存思想なのか、それとも、パスカル自体が実存的な思想なのかは、私自体は判然としていません)。
人間の存在に潜む「矛盾」を解決するには、宗教、それもキリスト教の考え方が必要であるという、論旨なので、うがった見方をすると、宗教礼賛と読まれるかもしれない。
しかし、その宗教性については、自分なりに読み替えることも可能であり、批判はあろうが「超越的な何か」と、その宗教性を、抽象化して読むこともできるだろう(仏教と読み替えても成立しそうだ)。
何を言いたいのかと言うと、もし「ニヒリズム」に陥っているのならば、本書の立場の方が救いがある、もしくは、優れているのではないか? ・・・ということだ。
ただ、本書での、無限と有限の接点に存在した「イエス・キリスト」の意味づけに関しては、なかなか難しいものがあり、一筋縄に理解することが難しい。
(いまさらと言われるかもしれないが)これから「パンセ」を読もうと思う人(すなわち、「存在についての問い」を抱えている人)には、(良い)手引きになるかもしれない。
(注)ただし、どの本を読んだからと言って「存在についての問い」の答えが書いてあるわけではない。
それは、見つけるものだと思う。
岩波文庫版もあり、安価に読めるようだ。
全体的な感想としては、良い本だと思う。
パスカルの思想を通して、実存的な思想に導入されていくように感じた(ただし、パスカルから実存思想なのか、それとも、パスカル自体が実存的な思想なのかは、私自体は判然としていません)。
人間の存在に潜む「矛盾」を解決するには、宗教、それもキリスト教の考え方が必要であるという、論旨なので、うがった見方をすると、宗教礼賛と読まれるかもしれない。
しかし、その宗教性については、自分なりに読み替えることも可能であり、批判はあろうが「超越的な何か」と、その宗教性を、抽象化して読むこともできるだろう(仏教と読み替えても成立しそうだ)。
何を言いたいのかと言うと、もし「ニヒリズム」に陥っているのならば、本書の立場の方が救いがある、もしくは、優れているのではないか? ・・・ということだ。
ただ、本書での、無限と有限の接点に存在した「イエス・キリスト」の意味づけに関しては、なかなか難しいものがあり、一筋縄に理解することが難しい。
(いまさらと言われるかもしれないが)これから「パンセ」を読もうと思う人(すなわち、「存在についての問い」を抱えている人)には、(良い)手引きになるかもしれない。
(注)ただし、どの本を読んだからと言って「存在についての問い」の答えが書いてあるわけではない。
それは、見つけるものだと思う。