ドイツ古典哲学の本質(ハイネ著)
本書は岩波文庫版を読む。
詩人ハイネが哲学に関する著作を出していたとは、実は知らなかった。
そういう本に出合えたので、読んでみる。
本書は、その執筆当時の思想としては、ヒューマニズムの立場にあったということだが、その後、その思想的なものは変化したようだ。
もとより、思想は変わる。
自分について言えば、自分の都合の良いように、いや、もっと端的に言えば、自分が生きるために。思想は変わるのだ。
それは、自分について客観的に見られる(第三者的な)眼があれば、本当に恥ずかしい光景を、度々目撃することになるだろう。
このような形で読書を始めて、3年ほど経つのだが、もう、最初の頃の考え方とは異なっている。
それは、だんだん極端な意見・思想に傾くことが減ってくること、そう、世の中にはわからないことが余りにも多いこと。
そして、非科学的だが、宗教的なこと、神話・伝説にも意味があることに気づいたこと・・・ただし、何か宗教活動をし始めたわけではない、それは、例えば、仏教にしても、始原の思想が現在に純粋に適用できないことが明確であるから。
そして、やはり西洋的なパロールに対して、東洋的、いや、日本的(私的か)な、沈黙しか無いような気がしてきた。
詩人ハイネが哲学に関する著作を出していたとは、実は知らなかった。
そういう本に出合えたので、読んでみる。
本書は、その執筆当時の思想としては、ヒューマニズムの立場にあったということだが、その後、その思想的なものは変化したようだ。
もとより、思想は変わる。
自分について言えば、自分の都合の良いように、いや、もっと端的に言えば、自分が生きるために。思想は変わるのだ。
それは、自分について客観的に見られる(第三者的な)眼があれば、本当に恥ずかしい光景を、度々目撃することになるだろう。
このような形で読書を始めて、3年ほど経つのだが、もう、最初の頃の考え方とは異なっている。
それは、だんだん極端な意見・思想に傾くことが減ってくること、そう、世の中にはわからないことが余りにも多いこと。
そして、非科学的だが、宗教的なこと、神話・伝説にも意味があることに気づいたこと・・・ただし、何か宗教活動をし始めたわけではない、それは、例えば、仏教にしても、始原の思想が現在に純粋に適用できないことが明確であるから。
そして、やはり西洋的なパロールに対して、東洋的、いや、日本的(私的か)な、沈黙しか無いような気がしてきた。