反=日本語論(蓮實重彦著)
本書は1977年筑摩書房刊行のもの、私は1986年初版のちくま文庫版を読む。
もう30年以上前の著作だが、日本語を考えるのには格好のテキストだと思った。
「音声中心主義」の西欧言語・文化は、差別と同一化の社会であり、そこには、冷酷なまでの格差が内在している。
それに対して、様々な批判もあるだろうが、日本語は、いつのころからか「文字中心主義」の様相を呈している。
その差は、逆に西欧諸国には奇異に思われるだろう。
それを、単純に受け入れるべきなのだろうか?
そういう日本語に対する問題提起をしている。
そして、本書のもうひとつの特徴は、日本人としての著者、西欧の代表としての奥様、そして、その二つの文化の狭間(接点)にある息子・・・という、大別して2つの文化、そして、それを統合した異質の者という3者の、その生活を通して見た、違和感(の)発見というところが注目される。
特に、その存在感が異質なな息子の立場は、とても参考になると思う。
本書を読んでいて、もしかすると、同じ言葉(日本語)を話す家庭内でも、同じような状況に陥っているのではないか・・・と危惧してしまった。
私には、家庭が無いので直感的なものだが・・・・
もう30年以上前の著作だが、日本語を考えるのには格好のテキストだと思った。
「音声中心主義」の西欧言語・文化は、差別と同一化の社会であり、そこには、冷酷なまでの格差が内在している。
それに対して、様々な批判もあるだろうが、日本語は、いつのころからか「文字中心主義」の様相を呈している。
その差は、逆に西欧諸国には奇異に思われるだろう。
それを、単純に受け入れるべきなのだろうか?
そういう日本語に対する問題提起をしている。
そして、本書のもうひとつの特徴は、日本人としての著者、西欧の代表としての奥様、そして、その二つの文化の狭間(接点)にある息子・・・という、大別して2つの文化、そして、それを統合した異質の者という3者の、その生活を通して見た、違和感(の)発見というところが注目される。
特に、その存在感が異質なな息子の立場は、とても参考になると思う。
本書を読んでいて、もしかすると、同じ言葉(日本語)を話す家庭内でも、同じような状況に陥っているのではないか・・・と危惧してしまった。
私には、家庭が無いので直感的なものだが・・・・