存在と無のはざまで(嶺秀樹著)
本書は1991年ミネルヴァ書房刊行のもの、これもリサイクル書籍。
副題に「ハイデッガーと形而上学」とあるが、本書は、ハイデッガーの思想を追いながら、最後に形而上学(神)に至るというその思想遍歴を追いかけるもの。
と、要約できるが、私には、なかなかハードな読書であった。
また、著者は、ハイデッガーの難解なテキストを、見事に分解・解説してくれるが、著者のレベルだと、ハイデッガーの文章自体の難解性の内に潜む、意味のすり替えなどを批判したりしている部分があり、なかなか参考になるところも多い。
そして、ハイデッガーの汚点としてのナチスへの参加と、その思想に潜む、歴史転回の野心(潜在的なものだったのかもしれないが)について、本著者は、批判的に指摘している。
21世紀になり、ハイデッガーの思想自体も、その論理性に対する批判も含めて、昔日の感がある。
しかし、「存在自体への問い」という問題定義は、未だ、廃れていないように思う。
副題に「ハイデッガーと形而上学」とあるが、本書は、ハイデッガーの思想を追いながら、最後に形而上学(神)に至るというその思想遍歴を追いかけるもの。
と、要約できるが、私には、なかなかハードな読書であった。
また、著者は、ハイデッガーの難解なテキストを、見事に分解・解説してくれるが、著者のレベルだと、ハイデッガーの文章自体の難解性の内に潜む、意味のすり替えなどを批判したりしている部分があり、なかなか参考になるところも多い。
そして、ハイデッガーの汚点としてのナチスへの参加と、その思想に潜む、歴史転回の野心(潜在的なものだったのかもしれないが)について、本著者は、批判的に指摘している。
21世紀になり、ハイデッガーの思想自体も、その論理性に対する批判も含めて、昔日の感がある。
しかし、「存在自体への問い」という問題定義は、未だ、廃れていないように思う。