110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ヘラクレイトスの火(E.シャルガフ著)

 本書は1980年岩波書店刊行のもの、私は1990年同出版社の「同時代ライブラリー」収録のものを読む。

 著者のシャルガフは、2重らせんで遺伝子の構造が解析されたときに、その関係者として現れる。
 しかし、本書はそういう視点からよりも、自然科学というもののあり方に対する、批判を行っているところにその主点が置かれる。

 例えば、本日とあるTVを見ているときに、その地域の住民が付近の工場の出す低周波(非可聴域)の影響で生活に不便を感じている旨、役所に陳情に行くが、その回答として「(その影響が)科学的に立証されていない・・・・」という言い訳で、不問にされるという図があった。

 現在の「科学的」をこういう意味で捕らえている向きも多いかもしれない。
 そういう私もそう思っていた時期もある。

 しかし「科学的」という意味は、絶対的な根拠ではない。
 ある特定の条件下でなりたつ論理的な整合性を示しているだけなのだ。
 そう、知らないうちに言葉の意味が変わっているのだ(特に科学者でない人にとって)。

 さて、本書は、科学の批判と言う体裁が強いが、実は、それ以上に、哲学的・文学的な意味での文明批判も強いのだ。
 それは、氏の言語能力(15ヶ国語を少なくとも読める)をもってしか語れないが、いわく「翻訳したものは、そのオリジナルの意味を伝えられない」という事だ。
 これは、ここ数年集中的に読書をして感じていることだが、私は(既にして)明治・大正時代の日本語が読めないのだ。
 そして、それが私の個人的な問題ならばよいのだろうが、明らかに読書をする人が減っているらしい事実がある(書店や出版社の閉鎖など)。


 これは、大きな問題点かもしれない。
 意味は2つある、文化の伝承への影響と言う意味と、言語の軽視化ということだ。

 特に、後者は、意思疎通が言語を通じて行われていることを考えればすぐに自明なことであり、言葉の理解力が低下すれば、そこには暴力的なコミュニケーションしか存在しないだろう。

 (まぁ)そんな事を考えてしまった。