歴史とは何か(E.H.カー著)
本書は1962年岩波書店(岩波新書)刊行のもの、私は2003年第68刷を読む。
「歴史とは何か」を表題とする、著者の講演録、実際の講演は1961年に行われたものだが、現在読んでも引用されている、歴史家(学者)や資料の年代が約50年程シフトするだけで、今もって興味深く読む事が出来る著作だと思う。
歴史は科学的でなければならない事や、歴史にて過去の犯罪を裁くことをしてはならない(既に裁かれているから)、そして、歴史の進歩、特に目的的に社会が進化するという考え方についての批判(ヘーゲルやマルクス)、また、懐古主義への批判など、歴史を考える上での考察だが、広く一般的な考え方に適用できる考え方を知ることが出来る。
歴史を考えることは、(言葉は陳腐だが)理性的であることだということになる、それは、主観的でありながら、客観的でもあるような立場(歴史家がその歴史に介入するだけで主観的要素が入り込んでしまう)・・・禅問答のようなバランスを要求している。
このように、歴史を深く考えることは、このように難解なことだが、それ無くして今までの歴史が成立しないことに気が付く、それは、歴史がまた歴史へと入れ子状態で影響を及ぼしているからなのだろう。
歴史は、複雑な再帰構造(カオス)なのかもしれない。
「歴史とは何か」を表題とする、著者の講演録、実際の講演は1961年に行われたものだが、現在読んでも引用されている、歴史家(学者)や資料の年代が約50年程シフトするだけで、今もって興味深く読む事が出来る著作だと思う。
歴史は科学的でなければならない事や、歴史にて過去の犯罪を裁くことをしてはならない(既に裁かれているから)、そして、歴史の進歩、特に目的的に社会が進化するという考え方についての批判(ヘーゲルやマルクス)、また、懐古主義への批判など、歴史を考える上での考察だが、広く一般的な考え方に適用できる考え方を知ることが出来る。
歴史を考えることは、(言葉は陳腐だが)理性的であることだということになる、それは、主観的でありながら、客観的でもあるような立場(歴史家がその歴史に介入するだけで主観的要素が入り込んでしまう)・・・禅問答のようなバランスを要求している。
このように、歴史を深く考えることは、このように難解なことだが、それ無くして今までの歴史が成立しないことに気が付く、それは、歴史がまた歴史へと入れ子状態で影響を及ぼしているからなのだろう。
歴史は、複雑な再帰構造(カオス)なのかもしれない。