110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

富士(武田泰淳著)

 本書は1971年中央公論社刊行のもの、私は1973年初版の中公文庫版を読む。

 遅ればせながら、武田氏のファンになったのだが、やはり氏の作品として特徴的な「ひかりごけ」「司馬遷」についで、本作「富士」は読んでみたかったものの一つだ。
 そして、なかなか入手できなかったのだが、今年に入って、今までと違う古本屋めぐりをしたら簡単に見つかった・・・大変嬉しいことだ。

 さて、本書は(同時代の)埴谷雄高氏の形而上小説に対比して、ある意味心理的な小説であると言えのではないかと思う。

 第二次大戦時中、富士の裾野にある精神病院という舞台を想定して、その中で繰り広げられる事件が、人間の精神(心理)の内面を表面化させる。
 確かに、本書のような事象は、通常起こりえないだろう、フィクションのはずだ、しかし、読み進んでいくと、奇妙な感慨を持つ。
 それは、本書内では、当初、精神異常者だった者が、正常者に、正常者だった者が、異常者に見えてくるのだ、そして、終局では、その区別(境界)すら喪失していくのだ。
 そして、その混乱を、高踏的に収拾した権力(軍の介入)それ自体も、その正常・異常の判断がつけにくい脆い体制であるのだ(この時代・時期に設定した意図があるように思われる)。

 現在、精神病は当時のように隔離されることは少なくなっていると思う、それは、その病がより身近になったことなのだと思う。
 そして、それは更に、正常・異常というような、対立項に区分することができなくなった、いわゆる複雑化した社会というものを指し示しているようにも思う。
 
 ここで言う複雑(化)とは何か?
 もとより、正常・異常という概念すら相対化していることであり、その境界すら簡単に変わってしまうことなのではないのか? 
 (例えば社会の)矛盾がそれ自体で解消できないことにより、反対的に権威を持ってしまうことがあるようなことではないのか?

 そんなことを考えさせられる本であった。