プラグマティズム(W.ジェイムズ著)
本書は1906~07に講演されたものであり、プラグマティズムとは、アメリカ的な思考(志向)方法のひとつの典型とされている、そして、著者はその思想の中心的な人物とされている。
私は、1957年初版の岩波文庫版(2007年第40刷)を読む。
アメリカの地位は20世紀を凌駕した、しかし、ここにきて躓きを見せている。
その時代を凌駕した力は、その基本的な思想、いわゆるプラグマティズムに帰着するのではないかと思っている。
しかし、私は、いままで、漠然とプラグマティズムという意味を捉えていたが、いつかは、それがどういうものか追及してみたいと思っていた。
そういう意味で、本書は願ったりかなったりの著作であったわけだ。
結論から言うと、プラグマティズムの「論理実証主義」的な部分は、解説を見るとパースの思想に近いらしい、その面から見ると、ジェイムズの説は少し視点が違うようだ。
しかし、本書の中で強く提唱される「人間中心主義」は、パースの「論理実証主義」と結びつき、強力な思想背景になったのではないかと思う。
そして、その楽観的な思想、人間中心思想は、短絡的に(言葉は適切でないと思うが)快楽主義的な方向へ進んでしまった(歪曲化・・・本書で観念論哲学として否定している、ヘーゲルの弁証法的な動きをした)ようだ。
そこでは、長期にわたる悪影響を捨象し、短期に(見ることのできる)結果を、基準に善悪を判断してしまう傾向を示し、もし、悪しき結果が現れても、人間の力で、それを修正できるものだという、特権的な意識を植え付けてしまったようだ。
そして、その帰結は、昨今の状況だろう。
何が、どこで、間違っていたのだろうか?
そんなことを考えながら読んでいた。
そして、本書にはその兆しが、ちらほらと隠れているのが伺えるのだ。
ただし、まだ歴史は終わってはいない、不死鳥の様に蘇ることもあるのだ・・・・。
私は、1957年初版の岩波文庫版(2007年第40刷)を読む。
アメリカの地位は20世紀を凌駕した、しかし、ここにきて躓きを見せている。
その時代を凌駕した力は、その基本的な思想、いわゆるプラグマティズムに帰着するのではないかと思っている。
しかし、私は、いままで、漠然とプラグマティズムという意味を捉えていたが、いつかは、それがどういうものか追及してみたいと思っていた。
そういう意味で、本書は願ったりかなったりの著作であったわけだ。
結論から言うと、プラグマティズムの「論理実証主義」的な部分は、解説を見るとパースの思想に近いらしい、その面から見ると、ジェイムズの説は少し視点が違うようだ。
しかし、本書の中で強く提唱される「人間中心主義」は、パースの「論理実証主義」と結びつき、強力な思想背景になったのではないかと思う。
そして、その楽観的な思想、人間中心思想は、短絡的に(言葉は適切でないと思うが)快楽主義的な方向へ進んでしまった(歪曲化・・・本書で観念論哲学として否定している、ヘーゲルの弁証法的な動きをした)ようだ。
そこでは、長期にわたる悪影響を捨象し、短期に(見ることのできる)結果を、基準に善悪を判断してしまう傾向を示し、もし、悪しき結果が現れても、人間の力で、それを修正できるものだという、特権的な意識を植え付けてしまったようだ。
そして、その帰結は、昨今の状況だろう。
何が、どこで、間違っていたのだろうか?
そんなことを考えながら読んでいた。
そして、本書にはその兆しが、ちらほらと隠れているのが伺えるのだ。
ただし、まだ歴史は終わってはいない、不死鳥の様に蘇ることもあるのだ・・・・。