ゴータマ・ブッダ(早島鏡正著)
本書は1979年「人類の知的遺産3」として講談社より刊行されたもの、私は1990年刊行の講談社学術文庫版を読む。
本書は、随分寝かせておいた本だ。
本ブログが「歩く」ことを中心にしてはじめたのが、最近は「読書」のブログになってしまった感があるが、丁度、このブログを始めた、少し前まで、第二回目の坂東観音霊場を巡るなど、仏教に関連した歩き(巡礼)を良くやっていた。
それは、非常に不心得な動機で、目的も無く歩くと気が萎えてしまい、歩くことができないという、精神的な(気分的な)面を補強するためのもの、すなわち「馬の目の前に吊り下げたニンジン」として巡礼をやっていたのだ。
そんなことから、なまじ、自分は仏教に興味があるのだと、思い込み(無恥)、そういう事情で手に入れたのがこの本に代表される、仏教関連の著作だ(このブログでも「唯識」などの本を上げたことがあるが、それらは思想的な色合いが濃いのだ)・・・例えば、ひろさちやさんなどの本。
そんな気持ちで読んでいたのだろう、本書は途中まで読んで積んでいたのだ、不心得では読みきれるものではない。
それが、ふとした心境の変化からか、再び読みはじめたのだ。
そうすると、これが意外と楽しく読み進められた・・・心境の変化であろうか。
「門前の小僧・・・・」で覚えた、一番短いお経と言われた「般若心経」の、「苦集滅道(四諦)」の、とてもやさしい解説に惹かれるものがあったりする。
しかし、この純粋な仏陀の思想を実行できるだろうかと思ったときに、大変さびしく思った。
余りにも、その戒律に違反してきた自分が見えてくるのだ。
ただ、そんなことに気づいただけでも良いのかもしれないな・・・・。
また、少し、宗教的なものも読んでみるかなと思った。
本書は、随分寝かせておいた本だ。
本ブログが「歩く」ことを中心にしてはじめたのが、最近は「読書」のブログになってしまった感があるが、丁度、このブログを始めた、少し前まで、第二回目の坂東観音霊場を巡るなど、仏教に関連した歩き(巡礼)を良くやっていた。
それは、非常に不心得な動機で、目的も無く歩くと気が萎えてしまい、歩くことができないという、精神的な(気分的な)面を補強するためのもの、すなわち「馬の目の前に吊り下げたニンジン」として巡礼をやっていたのだ。
そんなことから、なまじ、自分は仏教に興味があるのだと、思い込み(無恥)、そういう事情で手に入れたのがこの本に代表される、仏教関連の著作だ(このブログでも「唯識」などの本を上げたことがあるが、それらは思想的な色合いが濃いのだ)・・・例えば、ひろさちやさんなどの本。
そんな気持ちで読んでいたのだろう、本書は途中まで読んで積んでいたのだ、不心得では読みきれるものではない。
それが、ふとした心境の変化からか、再び読みはじめたのだ。
そうすると、これが意外と楽しく読み進められた・・・心境の変化であろうか。
「門前の小僧・・・・」で覚えた、一番短いお経と言われた「般若心経」の、「苦集滅道(四諦)」の、とてもやさしい解説に惹かれるものがあったりする。
しかし、この純粋な仏陀の思想を実行できるだろうかと思ったときに、大変さびしく思った。
余りにも、その戒律に違反してきた自分が見えてくるのだ。
ただ、そんなことに気づいただけでも良いのかもしれないな・・・・。
また、少し、宗教的なものも読んでみるかなと思った。