110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ファウスト(小塩節著)

 本書は1972年日本YMCA同盟出版部刊行のもの、私は講談社学術文庫版で読む。

 最近、講談社学術文庫の楽しみ方を覚えてきた、このシリーズは、一発もので消える(絶版)ものが結構多いので、(古本屋で)見つけたときに、もし買えるなら(多分500円程度)即購入して積んでおくことにしている。
 そして、その積上げたのを読むのだ・・・こりゃ賽の河原だな(シーシュポスの罪かな)。

 そして本書は、先日読んだゲーテの「ファウスト」の復習の意味も込めて読む。
 しかし、ファウストは(有名な)ゲーテのものだけでなく、民間伝承的に多数の書物が出ている。
 それでも、やはり、ゲーテファウストは、最高峰であることに間違いない。

 ゲーテロマン主義なのだろうか?・・・違う。
 自然主義なのだろうか?・・・やはり違う。
 啓蒙主義・・・の時代ではないし。
 確か、ゲーテは汎神論の立場だったと思うが、この「ファウスト」では(キリスト教の)神を扱っている。
 それは、どういうことなのだろうか?

 ファウストは、世の中の事を知り尽くすために、悪魔と賭けをする。
 そして、最後は、その賭けに敗れて死に至る。
 しかし、それを救済するのが、グレートヒェンの祈りなのだ。
 いや、そうではない、ある意味気まぐれな神を、グレートヒェンが動かし、恩寵を得たのだ。

 それは、どういうことだろうか?
 そんなところが気になる人は、ファウストを読んで見てください。
 それでも、良く読み込めない、私のような凡夫は、本書を探し出してください。

 そして、本書では、高い塔の上の見張り人リュンコイスという人物を確認させてくれた。
 彼は、フィレーモンとバウツィスという、老夫婦の悲劇を目撃するのだ。

 それは、現代の文明のある側面を照らし出しているのではないかという指摘に、なるほどと思ってしまった。

 とりもなおさず、私は、理性・論理だけでは生きていけないので、その弱さを補うための象徴が必要なのかなぁ・・・などと思ってしまうのだ。