花田清輝評論集
本書は粉川哲夫編集による、花田清輝の評論集、岩波文庫版1993年初版のものを読む。
編集者による解説を読むと、著者の凄みが判ったのだが、一読では、その「物体主義」などについても、何か詰めが甘いようにも思えてしまった。
私自身が、主客問題に首を突っ込みすぎたのかもしれない。
そして、評論集の中間部分の社会主義的な思想が見え隠れする論評については、少し辟易した。
これは、先入観によるものだと思う。
敬して遠ざけながら読んだそれらの論評は、それぞれが書かれた時代性を考えれば、必ずしも不当とは言えない。
逆に、「ソ連が崩壊して・・・」などという、不必要なラベルを貼り付けて読んでしまうことを反省しなければならないのと思う。
そして、後半の評論では、竹林夢想庵や武田泰淳が登場するのだ。
竹林夢想庵は、山本夏彦氏に再三登場する人物。
そして、武田泰淳は「司馬遷 史記の世界」に触れていて、この両者を取り上げるところは、共感するところが多い。
しかし、花田氏は、古いものを発掘するが、必ずしも回顧主義ではない。
そこに、新しいものが見出せないものは認めないのだ。
その視点はとても鋭いのだ。
編集者による解説を読むと、著者の凄みが判ったのだが、一読では、その「物体主義」などについても、何か詰めが甘いようにも思えてしまった。
私自身が、主客問題に首を突っ込みすぎたのかもしれない。
そして、評論集の中間部分の社会主義的な思想が見え隠れする論評については、少し辟易した。
これは、先入観によるものだと思う。
敬して遠ざけながら読んだそれらの論評は、それぞれが書かれた時代性を考えれば、必ずしも不当とは言えない。
逆に、「ソ連が崩壊して・・・」などという、不必要なラベルを貼り付けて読んでしまうことを反省しなければならないのと思う。
そして、後半の評論では、竹林夢想庵や武田泰淳が登場するのだ。
竹林夢想庵は、山本夏彦氏に再三登場する人物。
そして、武田泰淳は「司馬遷 史記の世界」に触れていて、この両者を取り上げるところは、共感するところが多い。
しかし、花田氏は、古いものを発掘するが、必ずしも回顧主義ではない。
そこに、新しいものが見出せないものは認めないのだ。
その視点はとても鋭いのだ。