私の常識哲学(長谷川如是閑著)
本書は1955年慶友社刊行のもの、私は講談社学術文庫(1987年初版)で読む。
さらに、大正時代に入り、そのドイツの観念論が広く支持されたため、その後の事件が発生したのだといわんばかりの論調で、戸惑いを覚えてしまった。
確かに、細かく見ていくと、論理が飛躍したりしているところがあるのだが、こういう風に書く人を最近見かけないので、これはこれでとても味わいがあるのだ。
いわゆる「実学」の人なのだろう。
さて、
生活から乖離した芸術(文明・文化)は危ういということなのだろう。
確かに、細かく見ていくと、論理が飛躍したりしているところがあるのだが、こういう風に書く人を最近見かけないので、これはこれでとても味わいがあるのだ。
いわゆる「実学」の人なのだろう。
さて、
しかし高い文明はあるが、それが文に偏して質を失ったことになると、それがヨーロッパ人のデカダン文明になって、その文明の没落期になるのです。東洋流に考えると、質のない文は人間破壊です。・・・
(生活と芸術)
この章は、芸術に関するコメントで、「文」は芸術を指し、「質」は生活を指し示す。(生活と芸術)
生活から乖離した芸術(文明・文化)は危ういということなのだろう。
柳宗悦は、工藝品に関する著述があるが、生活に密着している品物を作るということからすると、似たような観点があるようにも思うのだが?
やはり明治生まれは違う・・・そんなことを思った。