ダウン症の子をもって(正村公宏著)
本書は1983年新潮社刊行のもの、現在は新潮社文庫版で読める。
著者は経済学の教授として覚えていたので、意外な題名に惹かれて手にすることになる。
ダウン症の子供を持つこと、そして、両親としての正村夫妻の対応が切々と描かれていく。
本書を読んでいて思った、この世の中は、残酷な世界だと思う。
たまたま、身体に障害が無いから、その特性が見えないだけで、その能力により、社会的地位や収入などに格差が生まれる。
それは、家庭環境であったり、遺伝的なものであったり、その生まれでた時代性であったりするのだろう。
幸運にも、並外れて優れた才能・能力を持っていたとしても、必ずやってくる「老い」と戦わなければならない。
そんな時にどう生きればよいのだろうか?
その時に現れるのが、合理性とは無関係な「個」人だ、それは、一見身勝手な振る舞いをするのだが、そこにある種の「本質」が存在するように思うのだ。
それを、客観的科学的合理的な視線で見ることは、意味を取り違えることにならないだろうか?
そして、なんとなくゲーテの「ファウスト」という言葉(題名)を思い浮かべていたのだ。
著者は経済学の教授として覚えていたので、意外な題名に惹かれて手にすることになる。
ダウン症の子供を持つこと、そして、両親としての正村夫妻の対応が切々と描かれていく。
本書を読んでいて思った、この世の中は、残酷な世界だと思う。
たまたま、身体に障害が無いから、その特性が見えないだけで、その能力により、社会的地位や収入などに格差が生まれる。
それは、家庭環境であったり、遺伝的なものであったり、その生まれでた時代性であったりするのだろう。
幸運にも、並外れて優れた才能・能力を持っていたとしても、必ずやってくる「老い」と戦わなければならない。
そんな時にどう生きればよいのだろうか?
その時に現れるのが、合理性とは無関係な「個」人だ、それは、一見身勝手な振る舞いをするのだが、そこにある種の「本質」が存在するように思うのだ。
それを、客観的科学的合理的な視線で見ることは、意味を取り違えることにならないだろうか?
そして、なんとなくゲーテの「ファウスト」という言葉(題名)を思い浮かべていたのだ。