110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

やがて消えゆく我が身なら(池田清彦著)

 本書は2005年角川書店刊行のもの、現在は角川ソフィア文庫版で読める。

 ふと、立ち読みすると、私の好きそうなお題目のコラムがある、いわく、「人は死ぬ」「人生を流れる時間」「がん検診は受けない」「親はあっても子は育つ」・・・等々。
 一読すると、「この著者も天邪鬼だな」と思って共感を覚えた。
 「どうせ死んで行く身だから、楽しく過ごそう」などと思っているのは、自分の近くに死がないからだと思う。
 他人には勧めないが、死のことを考えてしまう自分が居るのだ。
 そして、本当に「余命×年」いや「×ヶ月」と宣告されたときに、それを受け入れるためには何をするべきだろうか?
 そんなことを思うのだ。

 ちなみに、本作の著者は、生物学の教授で「構造主義生物学」なるものを提唱しているのだ(私は「構造主義科学論の冒険(講談社学術文庫)読んだことががある)、そういう意味では、何か意外なものを感じたことは事実だ。
 そして、本作のコラムの後半で、随分言葉使いが荒れているのは、(もしかすると)心無い批判を浴びたのではないかと予測している。

 文庫版の帯には「・・・・独自のマイノリティー視点で、・・・・」とあるように、少数派の意見なのだろう。
 さて、その「独自のマイノリティー」の意見とは、善だろうか、それとも悪だろうか?
 ここに、言葉自体のあいまい性があるのだ。