110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

プリンシプルのない日本(白洲次郎著)

 本書は平成13年メディア総合研究所刊行のもの、現在は新潮文庫で読むことが出来る。

 この著者については、一時期流行ったことがあるのでご記憶の方も多いだろう、私も、確かにチェックした記憶があるのだが、その当時は読まなかった。
 その著作も、現在では105円で手に入るのだ(現在、良書も悪書も含めて本は安すぎるように思うのだ、逆説的にその恩恵は受けているのだが・・・・)。

 さて、プリンシプルとは適訳が無いようだ「原則とでもいうのか」と本作にはある。
 いわゆる、骨の部分だろう、議論するときの原則とでもいうことだろうか?
 本書を再読することが無いようになれば、日本ももう少し良くなるのではないか、そんなことを思うのだ・・・・。
 例えば、
 政府与党が過半数を制している議会においては、政府与党の提出する法案が通過成立することは当たり前であるということを認めないのか。政府与党が提出する法案が反対党から見て不適切な場合は、不適当であると考える理由を国会を通じて堂々といえば事足れりである。法案通過を「実力」で阻止するとか審議を拒否するとかいうことはこれ自体が議会政治否認であると考えないのか。法案成立を阻止するために審議引きのばし戦術を採用するとか、採決をおくらすために、牛歩戦術とかさみだれ戦術とかいう日本発明のやり方を採用するというような、「非合法」なことが堂々と国会内で横行したり、それをさも普通のことのように報道しているマスコミの良識を疑いたくなるのは、私だけか。政府与党がよからざることをたくらんでいるならそういう政党、または間接にその政府を選出した国民の不明である。・・・・・
 このような感じで本文は続くのだが、この文章は1969年(昭和44年)に書かれている、現在の政治・政党・議会・政府に照らし合わせて如何だろうか?
 
 また、こんな文章も見つけた、現在の状況とは異なる意味合いなのだが、ここだけ切り取るとドキとする。
 日航のことで思い出すのは新しい日航をデッチ上げて政府が半額出資しそうな時に私は反対した。一部の人が計画した赤字続きの会社を半分国民に肩代わりするのは怪しからんと。・・・・

 第二次大戦前から東京が空襲に合い焼け野原になると想定し、公職をリタイアして田舎で農業に従事する、それは、自らそして被災者(親友)のために行ったことなのだ。
 著者は、まさに預言者のようである、しかし、この預言者はプリンシプルを通した「眼」で、その結論を引き出したのであろう。
 この慧眼にはただ恐れ入るばかりだ。