110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ホントの話(呉智英著)

 本書は小学館2001年刊行のもの、私は小学館文庫2003年初版のものを読む。

 この著者を教えてくれたのは独言悟浄さんで、古本屋などに安くあると読んでしまうのだ。

 さて、本書は随分売れたらしいので、既にお読みの方も多いだろうが、ここに取り上げたいのは、本書で引用された、小泉八雲の「常識」という題の話(の又々引き)。

 ある山の小さな寺に、高い徳と学識を備えた僧がいて、毎日読経と黙想に余念がなかった。やがて、僧の信心に感応して寺の庭に普賢菩薩の御姿が現れるようになった。寺には近在の猟師が出入りしていたが、ある日、米を届けに来た猟師に僧は普賢菩薩のことを話し、お前もぜひ尊い御姿を拝んだがよかろうと言った。猟師は、ありがたいことですと答え、その日は寺に泊めてもらうことにした。
 さて、その夜、いつも普賢菩薩が現れる刻限になると、やはり光り輝く御姿が現れた。僧は伏し拝み、経を唱える。しかし、僧の後ろにいた猟師は弓を持って立ち上がり、普賢菩薩の胸めがけて弓を放った。その瞬間、轟音とともに御姿は消えた。猟師の無法に僧が怒り嘆くのに対し、猟師はこう答えた。
 修行を積んだ徳の高い坊様の前に菩薩様が現れるというのはわかります。しかし私は「無学な猟師で、殺生が家業です」「ものの命をとることは、仏さまの忌まれるところです」「どうして、わたしなどに普賢菩薩様が拝めましょう?」こんな私の前に現れた以上、あれは化け物です。
 はたして、胸に矢を受けた大狸が血を流して死んでいるのが見つかった。

 素晴らしい話ですね。
 突っ込むとしたら、普賢菩薩でなく阿弥陀如来だったら、少し、雲行きが変わったかもしれない・・・などと思ったりした。

 言葉の意味を、際限なく追求すると、最後は意味が不分明の混沌にたどり着く、ある意味合理的な判断として、その手前で思考停止するのが、無駄な時間や狂気の世界に行くことを回避することになるのだが、果たして、その状況では、あまりに意味の表面をなぞりすぎているのではないのだろうかと、思うのだが・・・?
 さて・・・