詩と批評A~E(田村隆一著)
本書は、思潮社より刊行のもの、1969年から1978年にわたり刊行された。
著者は詩人、山本夏彦の著作の解説が良い文章だったので、一読してみたかったのだが、本書を読んでみて「詩」も善いものだなと思った。
著者自体は、最近(当時)の方が、日本に詩人の受け入れれれる余地が出来てきたようだと述懐しているが、私的には、自分を見つめることに終始していたという初期の詩に興味を持った。
それは、良きも悪しきも、第二次世界大戦の影響であり、(戦争体験の無い)私には到底見えないもの、聞けないもの、触れられないものを感じたのであろうと思うのだ。
「その」いわくの知れない「モノ」を、言葉(ロゴス)にするという作業は、なるほど大変なことなのだろう。
そもそも、例えば「富士山が夕日に照らされて聳え立つ姿」を、どう言葉にすれば良いのか、今ならデジカメで撮ってそれを見せるという人もいるかもしれないが、ご存知の通り、人の眼とカメラの眼(画像)は、違うのだ。
それは言葉にすれば「美しい」のだろうが、自分の観点をどうすれば伝えられるのだろうか?
詩人というのは、そのような、言葉にならないものを、言葉として、私たちの前に見せるという、不断の努力なのだろうか。
そんなことを考えてしまったのだ。
著者は詩人、山本夏彦の著作の解説が良い文章だったので、一読してみたかったのだが、本書を読んでみて「詩」も善いものだなと思った。
著者自体は、最近(当時)の方が、日本に詩人の受け入れれれる余地が出来てきたようだと述懐しているが、私的には、自分を見つめることに終始していたという初期の詩に興味を持った。
それは、良きも悪しきも、第二次世界大戦の影響であり、(戦争体験の無い)私には到底見えないもの、聞けないもの、触れられないものを感じたのであろうと思うのだ。
「その」いわくの知れない「モノ」を、言葉(ロゴス)にするという作業は、なるほど大変なことなのだろう。
そもそも、例えば「富士山が夕日に照らされて聳え立つ姿」を、どう言葉にすれば良いのか、今ならデジカメで撮ってそれを見せるという人もいるかもしれないが、ご存知の通り、人の眼とカメラの眼(画像)は、違うのだ。
それは言葉にすれば「美しい」のだろうが、自分の観点をどうすれば伝えられるのだろうか?
詩人というのは、そのような、言葉にならないものを、言葉として、私たちの前に見せるという、不断の努力なのだろうか。
そんなことを考えてしまったのだ。