110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

絶望の精神史(金子光晴著)

 本書は昭和40年光文社刊行のもの、私は講談社文藝文庫版で読む。

 金子光晴に興味を持ったのは、田村隆一を読んだからで、その関係からなのか、第二次世界大戦という事件に関する、人々の考え方に興味を持つことになった。
 しかしながら、自分の考え方を文章にして残すという作業は、思った以上に難しいことであり、この著者の他に読んだものは、先ほどの田村隆一鮎川信夫、石川好、山本夏彦山本七平井上ひさしなど、今のところそれ程多くは無いのだ。
 ところが、読んでみると、これらの戦争体験者のそれぞれの考え方が、一定しないのだ・・・あの戦争は何だったのだろうか?と、却って思い悩んでしまうことになった。
 それは侵略戦争であり「悪」でああった・・・と簡単に言えるのは(多分)門外漢であり実体験の無い戦後生まれの人たちではにだろうか?
 そして、鮎川氏の著作を読んでいたとき、あの戦争で一番印象にのこったのは原爆ではないのだよね・・・という趣旨の言葉には、はっとしたことがある。
 私の母親も戦争体験者だが、空襲で逃げ惑っていたその実体験(恐怖かな?)を未だに忘れられないようだ。
 第二次世界大戦も、当然時間という奥行きがある、その奥行きを忘れて、一番華やかな事件(点)だけを取り上げることは、ある意味近視眼的な行為なのではないだろうか?
 それが、実体験の出来ない人間の感情移入の「基点」であると、認識した上でならば良いのだろうが、象徴としてしまうと、大きな誤解が生まれるのではないか?
 それぞれの人間は、それぞれの視点から実際の体験をすることになる、そして、それぞれに異なった捉え方をするのだろう、個々の体験といわゆる歴史を単純に重ね合わせるというわけにはいかない・・・そういう難しさがある様に思われる。

 さて、本書は「絶望の精神史」という題名であり、著者の第二次世界大戦を中心とした、自らの精神史を語るものである。
 そして、本書では、最後の数行が印象にのこった。

 「絶望の姿だけが、その人の本格的な正しい姿勢なのだ。それほど、現代すべての構造は、破滅的なのだ。」

 解説には、著者は絶望していないと書いてあった。
 私は、著者は絶望していると思うのだが如何だろう。

 ※同時期に「人間の悲劇」も併読した。