カミュ(アンドレ・ニコラス著)
本書は新潮社1970年刊行のもの。
今更カミュに感化されつつある。
先だって、ピアジェが実存主義批判をしている本を読んだが、カミュは実存主義からは、外れている。
(サルトルという接点も一時期あったが)
そして、ハイデッガーも実存主義から外れている。
そして、「正午の太陽」=ニーチェ・・・ニヒリズム、もとより、ニーチェ=ニヒリズムではないことを考えた上で、カミュ≠ニヒリズムである。
そして、本書を読むと、中庸という言葉が出てくる。
(アリストテレス)ニコマコス倫理学を読んでいたときに「中庸」ということの説明にこんな例を出していた、健康を維持するために、例えばスポーツなどの健康法を実行するとしよう、しかし、スポーツはやりすぎると却って身体を痛めてしまう、そうすると、適度に実行するのが良いことがわかる、中庸とはそういうもので、極端なものではない・・・そして、その「ええ加減」が難しいのだ。
本書を読んでいて、再び「中庸」ということを考えさせられた。
「中庸な不条理」や「中庸な反抗」とは何か?
うーん、禅問答のようになってしまった。
今更カミュに感化されつつある。
先だって、ピアジェが実存主義批判をしている本を読んだが、カミュは実存主義からは、外れている。
(サルトルという接点も一時期あったが)
そして、ハイデッガーも実存主義から外れている。
そして、「正午の太陽」=ニーチェ・・・ニヒリズム、もとより、ニーチェ=ニヒリズムではないことを考えた上で、カミュ≠ニヒリズムである。
そして、本書を読むと、中庸という言葉が出てくる。
(アリストテレス)ニコマコス倫理学を読んでいたときに「中庸」ということの説明にこんな例を出していた、健康を維持するために、例えばスポーツなどの健康法を実行するとしよう、しかし、スポーツはやりすぎると却って身体を痛めてしまう、そうすると、適度に実行するのが良いことがわかる、中庸とはそういうもので、極端なものではない・・・そして、その「ええ加減」が難しいのだ。
本書を読んでいて、再び「中庸」ということを考えさせられた。
「中庸な不条理」や「中庸な反抗」とは何か?
うーん、禅問答のようになってしまった。