110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

東京裁判日本の弁明(小堀桂一郎編)

 本書は「東京裁判却下未提出弁護側資料」という資料集から編者が抜粋して講談社学術文庫版で1995年に刊行したもの。

 私には最近気になることがある、それは「第二次世界大戦」そして「敗戦」だ。
 却って、戦争体験者や戦後の荒廃を知っている人は、それを「15年戦争」という言葉に圧縮し、意識の片隅に押し込んでしまうように思える。
 本当にそうなのだろうか?

 東京裁判については、一時期映画化された折に振り返る機会があったが、私はそれをただ見過ごしてしまった。
 本書は、数年前にBOOKOFFで105円で入手した(現在は、その情報の質とコストは全く比例しないのだ)・・・ちなみに、抜粋とは言え意外に分厚い本なので、いつ読むことになるのだろうかと訝っていたがこのたび一読することが出来た。

 本書は、東京裁判に対峙した弁護側の膨大な資料集からの抜粋であり、本書におさめられた18編の中でも「全文朗読」「一部朗読禁止」「部分却下」「全文却下」などの様々な対応がなされている。
 そして、その中には、徳富蘇峰石橋湛山などの文章も収められており、労をいとわなければ、大変有意義な時間を過ごせる本であるのだ。

 本書は、単なる裁判における陳述書なのだ、小説などのような感動的な表現に出会うことも無いのだが、それでも、ローガン弁護人による「弁護側最終弁論」を読んでいると、少し泣けてきた。
 ここに収められている文章が正しいとか間違っているとか、解釈がどうとかこうとかいうことも、確かに大切なことだろうが、歴史とはこの裁判のように(恣意的に)作られるのだということ、そして、何故日本という国が戦争をしなければならなかったのか・・・その根本のところについて、あれこれと考えねばならないと思った。
 現在ある歴史には、既に思い蓋がのっかっていてひっくり返すことはできないものだろうが、考えることはできるのではないだろうか?

 戦後がまだ終わっていない人もたくさんいることだろう。

 そんなことを考えてしまった。