哲学談義とその逸脱(田中美知太郎著)
本書は新潮選書1986年刊行のもの、著者の最後の作品となる。
この著者には、哲学を教えてもらっている。
本書でも、様々な問題についてコメントしている・・・しかし、明確な結論が出ることはない。
(例えば「合理性と合目的性について」)
だから、本書を読み終わっても「もやもや」とする。
著者は哲学者なのだから切れのよい知恵を披露して欲しいと思ってはいけない。
その「もやもや」が哲学なのであり、なんとなく判りやすい解説や回答が氾濫しているこの世の中は、本書の題名ではないが「逸脱」しているのだと思う。
もしかすると、効率性の観点から「答えのない問題を考え続けるのは無駄だ」という考え方をする人もいるだろう。
しかしながら、答えのない問題が、意識するにせよしないにせよ、自分に突きつけられているものだとすれば?・・・如何か。
そのような、面倒なものを見ないようにしているのが現在の社会なのかもしれない。
まぁ、確かに面倒ではある。
この著者には、哲学を教えてもらっている。
本書でも、様々な問題についてコメントしている・・・しかし、明確な結論が出ることはない。
(例えば「合理性と合目的性について」)
だから、本書を読み終わっても「もやもや」とする。
著者は哲学者なのだから切れのよい知恵を披露して欲しいと思ってはいけない。
その「もやもや」が哲学なのであり、なんとなく判りやすい解説や回答が氾濫しているこの世の中は、本書の題名ではないが「逸脱」しているのだと思う。
もしかすると、効率性の観点から「答えのない問題を考え続けるのは無駄だ」という考え方をする人もいるだろう。
しかしながら、答えのない問題が、意識するにせよしないにせよ、自分に突きつけられているものだとすれば?・・・如何か。
そのような、面倒なものを見ないようにしているのが現在の社会なのかもしれない。
まぁ、確かに面倒ではある。