<知>と<技>のフィールド・ワーク(市川浩編著)
本書は思潮社1990年刊行のもの。
現在、新宿西口で古書展をやっているが、そこで見つけたもの。
久しぶりに市川氏の作品に巡り合ったのだ。
内容は、著者とある課題に対するキーマンとのインタビューが6編収められている。
(冒頭の2編、甲野善紀氏・・・武道家と新井淳一氏・・・テキスタイル・デザイナーの対話が面白い)
時代性を反映してか、題名に象徴されるように、技術と知識というものを著者の哲学的な見地を踏まえて捉えていくという形式であろうか。
それも、ベルクソンや(これは宗教家らしいが)テイヤール・ド・シャルダンの見解などを踏まえて対話を重ねていく。
ベルクソンなど単独で読まれる方は少なくなってきているのかもしれないのだが、著者のフィルターを通じて対話すると、(技術との)思わぬ発見、共通点が見出されることがある。
本書では、思想というものと技術というものの接点を見出すことが出来たのだ。
ただし、本作で扱う「技術」とは1990年頃のものなので、それらの「技術」が、現在、更に進化しているのか、はたまた、途中で消えてしまったものかは不明だ。
そういう歴史性を追いかけるのは面白い課題なのだが、それを行う時間が無いのが残念ではある。
私は、著者の「精神としての身体」を読んで漠然と身体論に興味を持った。
その影響があるから、現在いろいろな本を読んでいる。
ある時に、ふと読書の終わりを自覚したならば、最後に読みたい本、そのひとつが「精神としての身体」であり、初めて読んだときと異なった読み解きができればと思っている。
現在、新宿西口で古書展をやっているが、そこで見つけたもの。
久しぶりに市川氏の作品に巡り合ったのだ。
内容は、著者とある課題に対するキーマンとのインタビューが6編収められている。
(冒頭の2編、甲野善紀氏・・・武道家と新井淳一氏・・・テキスタイル・デザイナーの対話が面白い)
時代性を反映してか、題名に象徴されるように、技術と知識というものを著者の哲学的な見地を踏まえて捉えていくという形式であろうか。
それも、ベルクソンや(これは宗教家らしいが)テイヤール・ド・シャルダンの見解などを踏まえて対話を重ねていく。
ベルクソンなど単独で読まれる方は少なくなってきているのかもしれないのだが、著者のフィルターを通じて対話すると、(技術との)思わぬ発見、共通点が見出されることがある。
本書では、思想というものと技術というものの接点を見出すことが出来たのだ。
ただし、本作で扱う「技術」とは1990年頃のものなので、それらの「技術」が、現在、更に進化しているのか、はたまた、途中で消えてしまったものかは不明だ。
そういう歴史性を追いかけるのは面白い課題なのだが、それを行う時間が無いのが残念ではある。
私は、著者の「精神としての身体」を読んで漠然と身体論に興味を持った。
その影響があるから、現在いろいろな本を読んでいる。
ある時に、ふと読書の終わりを自覚したならば、最後に読みたい本、そのひとつが「精神としての身体」であり、初めて読んだときと異なった読み解きができればと思っている。