詩・ことば・人間(大岡信著)
本書は講談社学術文庫版(昭和60年初版)で読む。
言葉についての考察は非常に重要なものだと思う、それが、手軽に利用できることが禍してなのか、言葉の存在がどんどん薄まっていってしまう傾向にあると思うのだ。
それは、古臭い思想だが、人間の疎外感というものかも知れない。
本書には、1966年から1978年までの緒論が収められているが、そういう危機感みたいなものを持ちつつ、既に40年以上が経過し、言葉の空虚感は完成の域に近づいているのかもしれない、それは、「洗練された虚無感」とでも呼ぶことが出来ようか。
さて、本書でここに記したいのは、本来の主題から離れたところの「官僚」の定義、いわく、「官僚主義とは、成員のひとりひとりが、責任を自覚せずに、きわめて重大な責任ある決定に参加できる仕組みのことだ。・・・・」、成る程と思わず頷いてしまうものがある。
そして、この定義が記されてから、40年以上が経過し、この官僚主義も完成の域に達する、それは、「洗練された虚無感」とでも呼ぶことが出来ようか。
言葉についての考察は非常に重要なものだと思う、それが、手軽に利用できることが禍してなのか、言葉の存在がどんどん薄まっていってしまう傾向にあると思うのだ。
それは、古臭い思想だが、人間の疎外感というものかも知れない。
本書には、1966年から1978年までの緒論が収められているが、そういう危機感みたいなものを持ちつつ、既に40年以上が経過し、言葉の空虚感は完成の域に近づいているのかもしれない、それは、「洗練された虚無感」とでも呼ぶことが出来ようか。
さて、本書でここに記したいのは、本来の主題から離れたところの「官僚」の定義、いわく、「官僚主義とは、成員のひとりひとりが、責任を自覚せずに、きわめて重大な責任ある決定に参加できる仕組みのことだ。・・・・」、成る程と思わず頷いてしまうものがある。
そして、この定義が記されてから、40年以上が経過し、この官僚主義も完成の域に達する、それは、「洗練された虚無感」とでも呼ぶことが出来ようか。