110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

漢文の話(吉川幸次郎著)

 本書は1968年吉川幸次郎全集に収められたもの、私は、ちくま学芸文庫版で読む。

 私、学生のころは不勉強で、特に国語、古文、漢文などひとつも世の中の役に立たないと思っていたものですからひどいものです。
 しかしながら、ちかごろの濫読によって、特に戦後になって顕著に日本が捨て去ったもの、それは文語文や漢文というものですが、それらが意外に重要であったことに気づくわけです。
 日本語は、言語として余り論理的な記述に向かないと言われますが、それを補っていたのが、漢文であったのではないかと怪しんでいます。
 中江兆民が、ルソーのエミールは、漢文にすると日本語訳の3分の1の容量になると言う様なことをどこかに書いていた記憶がありますが、それぐらいの凝縮力がある言語のようです。
 本書を読んでいると、そういう中国語も最近は、口語体が台頭しており、漢文というように、それぞれの漢字を訓読みして、返り点や送り仮名を添えて読むわけには行かなくなったようです。
 これは日本でも同様に、ある意味進歩なのですが、今までの利点を失ってしまったところも随分あるのではないでしょうか。
 本書で取り扱われている漢文を、著者の解説を読みながら、追っていくと、その簡潔な文章の中に深い意味合いを感じることがあり、いわゆる文語文というものの価値を、素人ながら認識することができます。
 
 言い尽くされたことではありますが、いわゆる古典、そして、今回の趣旨で行けば、中国の古典を少しでも読むことができればと、思ったわけであります。