シュレディンガーの哲学する猫(竹内薫・SANAMI著)
本書は徳間書店1998年刊行のもの。
哲学の入門書なのかと思うと実は随分と屈折した本であった。
ある意味、自然科学に対する哲学的な批判の書という位置づけだろうか?
しかし、半分を占める小説的な部分は、私としては余り面白くなかった。
それでは、ここにとりあげたのは何故なのかと言うと、本書で取り上げられた、哲学者もしくはその関係者が、これまた屈折しているからだ。
それは、ウィトゲンシュタイン、サルトル、ニーチェ、ソクラテスと順調に哲学者が続くのだが、カーソン(沈黙の春)、サン=テグジュペリ(星の王子様)、ファイヤアーベントと異次元へと移行し、廣松渉、フッサール、ハイデガー、小林秀雄(評論家)、大森荘蔵・・・と日本の哲学者、評論家が並んでくる。
廣松、大森などの日本の哲学者が紹介されたことはとても嬉しいし、本自体も読みやすいのだが、本書が(全体的に)何を言いたかったのかを把握することは私の能力を超えていた。
ただ、こんなに特別な哲学入門書を出版したことはとても素敵なことだと思った。
哲学の入門書なのかと思うと実は随分と屈折した本であった。
ある意味、自然科学に対する哲学的な批判の書という位置づけだろうか?
しかし、半分を占める小説的な部分は、私としては余り面白くなかった。
それでは、ここにとりあげたのは何故なのかと言うと、本書で取り上げられた、哲学者もしくはその関係者が、これまた屈折しているからだ。
それは、ウィトゲンシュタイン、サルトル、ニーチェ、ソクラテスと順調に哲学者が続くのだが、カーソン(沈黙の春)、サン=テグジュペリ(星の王子様)、ファイヤアーベントと異次元へと移行し、廣松渉、フッサール、ハイデガー、小林秀雄(評論家)、大森荘蔵・・・と日本の哲学者、評論家が並んでくる。
廣松、大森などの日本の哲学者が紹介されたことはとても嬉しいし、本自体も読みやすいのだが、本書が(全体的に)何を言いたかったのかを把握することは私の能力を超えていた。
ただ、こんなに特別な哲学入門書を出版したことはとても素敵なことだと思った。