110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

アジアの歩き方(鶴見良行著)

 「歩き方」という書名が気になったので古本で購入した。

 初版刊行年を見ると1986年とある。
 20年前の著作になる。
 当時の東南アジアと日本などの先進国との関わりを著した本だ。
 この著者の鶴見さんは残念な事に1994年に亡くなっている。

 さて、この本の冒頭には
 「田舎を歩きまわらないと、アジアのことはわからない、と私は考えるようになっています。それに、ジャカルタやマニラで知識人と話し合っているより楽しいし・・・」
 と出てくる。
 彼の「歩く」は、「見えないように包まれている現実」を「歩いて見つけ出す」作業を示していると思う。
 「バナナの授業」という一章で、当時の日本がフィリピンのバナナ農地と経済的に直結していて、なおかつ、そのために現地の「貧困」や「公害」を増大させていることを小学校の授業で説明している。
 20年前のことなので「現在」がどうなっているかという「再認識」も必要だと思うが、この話に対しての「大人」の対応が面白い。
 一つは「そんなわけが無い」と否定するもの、もう一つは「それを素直に」受け止めるもの。
 (実際は、後者が自然な態度なのだが)
 私について言えば、やはり、「自分では受け入れたくない現実は否定もしくは忘却しようとする」傾向にあると思う。すなわち、この「バナナと日本人論」は「今の便利な生活を捨てますか」の「問い」でもあるわけだ。
 簡単に解決できる問題ではないと思うが、これは、現在ではどういう回答になるのだろうか?

 あとは歴史観にも興味を持った。
 「・・・生産段階がある段階に移れば、前の生産段階には戻らないという、そういう発展段階的な歴史観、つまり、どっちかというと、ヨーロッパで発達した歴史観ですけれども、そういうふうになってないと思うんです。東南アジアをみてると、いくらでももとに戻っちゃいます。・・・」
 歴史は、後戻り可能だ、ここに実例もある。
 そういえば、手前味噌ながら「ローマ帝国」が滅亡した後は、多くの衰退した文化、都市などもたくさんあったわけだ。なるほど・・・

 私も「歩く」ことが好きだが、残念ながら、国内のそれも自宅の周囲100Km程度しか見ていない。
 まだまだ、自分の歩く範囲が狭いという反省と共に、そういう「フィールドワーク」をするかどうかは「現実感」をどう捕らえるかという判断が必要だと思う。
 いわく「聞きたくない事を聞かされる覚悟」も伴うわけだから。