110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ピエール・リヴィエール(ミシェル・フーコー編著)

 本書は、河出文庫版で読む。

 本書は、ピエール・リヴィエールという人物が、彼の母親、弟妹を殺害したという、親族殺人事件を取り扱ったものである、読んでいて、安部定事件を思い浮かべていた。
 それは、両者ともに、その事件の異常性とともに、その供述が、異様とも思えるほどに整然と、ある意味論理的に語られ、描かれているからだ。
 ピエール・リヴィエールの事件の顛末は、裁判ににより、その責任遂行能力があると認定され、死刑の判決を受けたが、国王による恩赦により終身刑となった、しかし、本人はその状況を受け入れず、数年後に獄中で自殺したのだ。
 ちなみに、この殺人事件の背景には、この彼の母親が、父親に対して行った様々な理不尽な行為があったことも見逃せない、例えば、本来必要もないものを購入して、その借金を父親名義にするなどして、本書ではとても真面目に見える彼の父親を精神的に追い詰めていくという家庭内の問題も見逃すことができない。
 そして、ここでは、加害者、ピエール・リヴィエールは、刑を受けるべきか、精神異常者として、病院へ行くべきなのかという問題も存在する。
 本書では、前半に、この事件の客観的な資料を提示し、後半に、本題を取り上げた、フーコーのゼミでの論考を取り上げるという構成になる。

 お読みにならない上でこのような論点を出しても詮無いことだが、ピエール・リヴィエールの狂的な殺人は、刑に処すべきか、それとも精神異常者として取り扱うのが良いのか?

 人間として、殺人をしてはいけない、更に、異常な殺人はもってのほかであると考えるならば、この事象は狂気だとするべきであろう。
 
 しかし、そういういう観点を枕にして、わが国の秋葉原でおきた事件を考えるとどうだろうか、明らかに狂的なのだが・・・・と思って調べたところ。
 責任能力があると認定されて、第一審では、死刑の求刑になっている。

 残念ながら、細かくその内容を分析していないが、この条件で考えられることは、人間は、一見狂的な犯罪でも、正常な(この修飾がまちがいかもしれないが)責任能力を保ったまま遂行することができる・・・ということになる。

 ということは、人間は、それほど危ない存在である・・・ということなのだろうか?
 それとも、加害者をそう処断したい、なんらかの力が働いているのだろうか?

 そこには、論理、感情、権力などの問題が漂っているように思うのだが?