110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

断章34~36

 断章34は、人についてまわる肩書きについて述べているようだ、「詩人」や「数学者」というような「看板」を上げなければ「世間では」通用しないが、「普遍的な人(普通の人)」はそんなことにはお構いなく、必要な時に、自分の能力を示すのだ、決してこれみよがしではない。
 だから「ある人がはいってきたとき、人々が彼のことを、詩に秀でていると言うならば、それはにせものの賛辞を彼に呈しているのである」その結果「何か詩句の鑑定が問題になっているときに、人々がある人に頼まないとしたならば、それは悪い兆候である」。

 断章35は、冒頭に「オネットム」とあり、「彼は『オネットムである』と言われるようでなければならない」。
 オネットムとは、何だろうか、謙虚であることだろうか?
 こういう文章がある「何か特質があったとしても、たまたまそれを<何事も度を過ごさずに>用立てる機会にぶつかったときに限って、それに気がつかれるようであってほしい」さもないと「一つの特質が勝ってしまって、それで命名されてしまう」と言う。
 こう考えると、断章34にある「普遍的な人」というイメージが浮かんでくる。
 しかし、現在の世情を考えると、自分から、勝手に命名して世間に現れる方が多いように思うのだ、その面では、本断章に違和感を持たれる方もあるだろう。
 それとも、既に、世間に名前を知られてる方で、(逆に)勝手なイメージを、周りから植付けられて苦労しているという方も居られるかもしれない。
 このあたりは、社会の思考変化であろうか、それとも、宗教観的な要素であろうか?

 断章36は、「人間は、要求でいっぱいで、それをみな満たしてくれる人たちしか好きではない」だから「必要なのは、私のあらゆる欲求に全般的に応じることのできるオネットムなのだ」

 私のあらゆる欲求に対応するオネットム・・・少なくとも謙虚ではないな。