断章37~39
断章37は「すべてを少しづつ」と始まる、ここのところ「オネットム」という言葉の意味について考えさせられたのだが、多分、本断章がその答えなのだろう。
それは、「人は普遍的であるとともに、すべてのことについて知りうる」もし「すべてを知りうることができない以上は、すべてのことについて少し知らなければならない。なぜなら、すべてのことについて何かを知るのは、一つのものについてすべてを知るよりはずっと美しいからである。このような普遍性こそ、最も美しい」・・・なるほど。
だから、すべてのものについてすべてを知ること(・・・これは神の領域だ)ができないときに
「どちらかを選ばなければならないのだったら」
,垢戮討里海箸砲弔い鴇し知ること
一つのものについてすべてを知ること
「このほう( 砲鯀ぶべきである」
それが「オネットム」である。
そのことは世間が知っているよ、世間はよい判定者なのだとしめくくっている。
ここで「幾何学の精神」と「繊細の精神」という断章1の言葉に戻ってみると、どちらに重点が置かれているのかが少し見えてくるようだ。
断章38
「詩人ではあるが、オネットムではない」
断章39
「もし雷が低いところに落ちること等々があった場合には、詩人たちや、この種の事柄に基づいてしか推理できない人たちは、論拠を失ってしまうだろう」
それは、「人は普遍的であるとともに、すべてのことについて知りうる」もし「すべてを知りうることができない以上は、すべてのことについて少し知らなければならない。なぜなら、すべてのことについて何かを知るのは、一つのものについてすべてを知るよりはずっと美しいからである。このような普遍性こそ、最も美しい」・・・なるほど。
だから、すべてのものについてすべてを知ること(・・・これは神の領域だ)ができないときに
「どちらかを選ばなければならないのだったら」
,垢戮討里海箸砲弔い鴇し知ること
一つのものについてすべてを知ること
「このほう( 砲鯀ぶべきである」
それが「オネットム」である。
そのことは世間が知っているよ、世間はよい判定者なのだとしめくくっている。
ここで「幾何学の精神」と「繊細の精神」という断章1の言葉に戻ってみると、どちらに重点が置かれているのかが少し見えてくるようだ。
断章38
「詩人ではあるが、オネットムではない」
断章39
「もし雷が低いところに落ちること等々があった場合には、詩人たちや、この種の事柄に基づいてしか推理できない人たちは、論拠を失ってしまうだろう」