精神現象学(ヘーゲル著)
本書は、作品社刊行のもの、翻訳者は長谷川宏だ。
この翻訳者の手に掛かったので、相当読みやすくなっているのだが、一読では良くわからないという感想じだ。
観念論、精神、三位一体、集団意識、良心・・・いくつか、乏しい記憶のなかからそれらしい言葉を思い出すも、なにか雲をつかむようなのだ。
そして、繰り返される、弁証法によると思われる丁寧な説諭。
個人を捨てて、国家のため、共同体のために、絶対的な神の如き存在を信じるというような、稚拙なイメージを持って読んでいたが、どうもそんなに簡単なものではないようなのだ。
絶対的なもの(神?)も、本書では否定してみるのだが、その否定が、彼岸まで行って還ってくると、その性質(否定性)が変質し、水と油の如き対立概念が統合されてしまう、まさに手品をみているような手腕が散見されるのだ(これが弁証法なのかな)。
そんな彼の手品を批判しようと、パッとWeb検索して調べれば、その哲学をいとも簡単に否定したりすることはできるのだろうけれども、例えば、絶対的な思考、普遍的な思考は、現実的な問題には役に立たないと裁断し、あくまで現実的に存在する中から解決法を探る、というような考え(記述)に出会うと、必ずしも、(観念論の)手品師で片付けてしまうわけにいかない、奥の深さを感じてしまうのだ。
しかし、やはり一読では、残念ながら下世話な感想しか出てこない。
本書は、精神を最高の段階まで高揚させる、その手法についての解説書のように思うのだけれど、凡夫の私はどうすれば、こういうすてきな状態になれるのでしょう?
私は、つくづく「俗」だな(自己批判)。
批判めいたことを書いたが、本書はそれでも名著だ。
全体の意味は把握できなくても、そういう香りが(何故だか)してくるのだ。
この翻訳者の手に掛かったので、相当読みやすくなっているのだが、一読では良くわからないという感想じだ。
観念論、精神、三位一体、集団意識、良心・・・いくつか、乏しい記憶のなかからそれらしい言葉を思い出すも、なにか雲をつかむようなのだ。
そして、繰り返される、弁証法によると思われる丁寧な説諭。
個人を捨てて、国家のため、共同体のために、絶対的な神の如き存在を信じるというような、稚拙なイメージを持って読んでいたが、どうもそんなに簡単なものではないようなのだ。
絶対的なもの(神?)も、本書では否定してみるのだが、その否定が、彼岸まで行って還ってくると、その性質(否定性)が変質し、水と油の如き対立概念が統合されてしまう、まさに手品をみているような手腕が散見されるのだ(これが弁証法なのかな)。
そんな彼の手品を批判しようと、パッとWeb検索して調べれば、その哲学をいとも簡単に否定したりすることはできるのだろうけれども、例えば、絶対的な思考、普遍的な思考は、現実的な問題には役に立たないと裁断し、あくまで現実的に存在する中から解決法を探る、というような考え(記述)に出会うと、必ずしも、(観念論の)手品師で片付けてしまうわけにいかない、奥の深さを感じてしまうのだ。
しかし、やはり一読では、残念ながら下世話な感想しか出てこない。
本書は、精神を最高の段階まで高揚させる、その手法についての解説書のように思うのだけれど、凡夫の私はどうすれば、こういうすてきな状態になれるのでしょう?
私は、つくづく「俗」だな(自己批判)。
批判めいたことを書いたが、本書はそれでも名著だ。
全体の意味は把握できなくても、そういう香りが(何故だか)してくるのだ。