110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

演技と演出(平田オリザ著)

 本書は講談社現代新書版。

 今年にはいってとある古本屋で、5冊以上買うと105円が53円になるという張り紙に見せられて、手当たり次第に6冊ばかり新書を選んだうちの一冊。
 ちなみに、その6冊とは、

 (1)悩む力(姜尚中著、集英社新書)
 (2)キャラクター小説の作り方(大塚英志講談社現代新書
 (3)教養としての「死」を考える(鷲田清一著、洋泉社 新書y)
 (4)きょうも命日(長薗安浩著、中公新書ラクレ
 (5)死にたくないが、生きたくもない。(小浜逸郎著、幻冬舎新書
 (6)演技と演出(平田オリザ著、講談社現代新書

 で、本書で、6冊完読となる。
 (1)(3)(4)(5)は、今もって、実存にこだわる自分の趣向で、(2)とか(6)はとりあえず、自分の意識にないものとして読んでみたのだが、得てして、そういう自分の興味の外にある本のほうが面白い。
 そして、本書は、面白い一冊であった。

 例えば、小説では表現しにくいことがある。
 それは、一時に、複数の人間が会話をする場合だ、しかも、そのような雑然とした状況でも、演劇などでやってみると何らかの意味が生まれるし、観客も理解できる。
 しかし、小説では、それをあえて分解して表現するよりない。
 それは、リアルではないのだろうか?

 また、現実としては、悲しいと言う感情をもったある人は、それを客観的に見ている人に、その感情を理解させる必然性は無い。
 しかし、演者はそれを、他の人に伝えなければならない。
 それは、リアルではないのではないか?

 今まで、本を読んできたのだが、それは、極端なことを言えば、モノローグであっても良かったし、著者と私は特に意味の共有をしなくとも良かった、すなわち、私は、自分なりに本を解釈すれば良いことになる。

 しかし、演劇などでは、邪道な方法も含めて、他人に何かを伝えなければならない、それも、演出や脚本家の意図に沿った意味をだ・・・
 そのためには、敢えて、何か不自然な動き、言葉を使わざるをえない場合もあろう、そして、それが、よりリアルな表現となる可能性があるともいえる(演劇では難しいが、映画の特撮などその範疇だと言えよう)。

 しかし、そうすると「よりリアル」という言葉は、欺瞞性を持っているとも言える。

 リアルとは何か?

 ・・・だから、世の中は面白いのかもしれない。