110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

人類の過去現在及び未来(丘浅次郎著)

 本書は有精堂昭和43年刊行の「丘浅次郎著作集検廚貿爾瓩蕕譴討い襪發里鯑匹鵑澄

 本書は、(生物の)進化論に基づきつつ、人類の過去現在未来を附俯瞰しようとするものであり、過去において、主流だった生物種がことごとく進化の極のあとに滅亡もしくは衰退した事例をもとに、人類も滅亡すると予想するもの。
 この書籍は大正三年に講義として書かれたものであり、今となっては、進化論を人間社会にそのまま適用するという、理論の飛躍が目に付くのだが、フロイトの「モーゼと一神教」の例にもあるように、一つの試論として興味深いものだ。
 (確かに、人類は数十億年後に、地球上でこのままの状態では生きていけなくなる)
 
 さて、本書のさらに面白いところは、この著者の理屈に、解説の今西錦司がかみついたところ。
 結論としての人類の滅亡論では意見が共通なのだが、その要因として「自然淘汰説」では説明できないとする。
 生物は著者が指摘するほど戦闘的、排他的ではないという根拠によるものだ。
 そして、本書では「進化-退化」という言葉を相反する意味と定義しているのだが、これは退化という言葉も、一つの環境適応であり「いわゆる進化」のひとつと考えられるとして、自然淘汰が働くなくなったから退化が起こるとする本書の理屈を批判している。
 すなわち、自然淘汰説で進化も退化も説明されるべきであろう・・・というのだ。
 著者は、自然淘汰が完了すると、退化が始まるとする、しかし、人類は他の生物を支配するために作った武器はさらに進化するという、どうも、他の生物に対峙する段階は終わり、今度は人類間の闘争がおこるという理屈のようだ。
 その結果、知識のない国は、その進んだ国に圧迫されてしまうことになるという(知識のない国は奴隷になる)。
 だから、武力を充実させて優位に立つのだという論旨になる。

 今西氏はこれを、著者の生きた時代背景、明治に生まれ、日清・日露戦争を経験したもののもつ思想を、進化論を使って説いたものではないのかと評している。
 なるほど、だからこの著者は本書を発表した大正3年以降、著者の没する昭和19年まで本書のような独自の進化思想を発表していないという点に、また、本書は、生物進化論としての著作なのか、はたまた、社会的・政治的・思想的著作なのかという、今西批判に思わず頷いてしまうところがあるのだ。