110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

人間-過去・現在・未来(L.マンフォード著)

 本書は岩波新書版(上巻1978年、下巻1984年、オリジナルは1956年)で読む。

 すこし前に「人類の過去現在及び未来(丘浅次郎著)を読んだので、この題名の共通性に惹かれたのではないかと思う。
 ただし、本作は「文明批評」そして「世界文化史」という位置づけで人類の過去、現在、未来を概観するところが、丘氏の著作とは趣の違うところ。
 
 過去において、人間はその他の動物と離れ独自の路線を歩み始めた、それは自然との決別であり、そして地球の表面上のレベルではある程度自然を凌駕しているところもある。
 ところが、その自然さえコントロールしうる力をどのように使って未来を創るのだろうかと言う問題が浮上してきた、本書では核戦争の脅威と環境問題が取り上げられている。
 また、未来の人間像について、完全な管理の下、機械の様に行動する人間像というもの、人間疎外の問題などにも触れられているところは、本書の作成年代1950年代というところからは妥当なもののように思う。

 それらの考察を踏まえて、将来の人間はどのようなものになるのだろうか?
 そんな考察が本書ではなされている、著作が刊行されてから60年以上経過しているので、いくつか修正点はあろう、例えば、東西に分かれた国家体制の違いによる冷戦の可能性は、現在はなくなった、しかし、核戦争の確率はどうであろうか?
 また、環境問題とともに、資源問題は大きく取りざたされた、しかし、20世紀中は、新たな油田が発見されて、その資源枯渇までの寿命を延命してきた、しかし、それも、あと数百年単位であろう、その先の代替エネルギーとしては何があるのだろう、未だ完全な制御は不能原子力であろうか?
 そして、人間の機械化、画一化という問題について、現在、見かけ上は反対の様相を呈しているように思う、ほとんど統一が不可能なほど多様化しているので、本当に統一的な見解が必要なときに、決断ができないのではないか(現行の消費税についてなど)とも思うが、この状況は良いことなのだろうか?

 まぁ、このような悲観論になってしまうのは凡庸な証拠なのかもしれない、著者は、それでも人間がさらに高い段階に挑戦できる可能性があることを描いている、それは、「原初人、文明人、機軸宗教人、機械人は、人間の潜在的可能性の部分的発展しか達成しなかった」が、「世界文化は、精神的エネルギーの新鮮な解放を達成し、この解放は、さまざまな潜在可能性から、それらをおおうヴェールをとり去るであろう」として、人間の潜在能力(可能性)を評価している。

 そう、あなたも、スーパーサイヤ人のように、潜在した力を発揮することのできる世界を創ることで更なる飛躍を達成できるのだ。

 とすこし、勇気付けられたりする本でもある。
 そこが、21世紀に漂うニヒリズム状況では味わえないところだと、斯様に思う。

 ちなみに、本書は久野修さんが翻訳しているのだが、上巻が1978年、下巻が1984年というところに何か違和感を感じた人は、その謎解きのためだけに本書を探したりするのだ。