110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

夫婦善哉(織田作之助著)

 本書は新潮文庫版で読む、著者の短編を6編納めたもの。

 この著者に興味を持ったのは、「ニーチェから日本近代文学へ(高松敏男著、幻想社)」の中に「織田作之助論」というものがあったからで、全体の流れはほとんど忘れたのだが、織田作之助の描く大阪とは、一つの理想郷(ユートピア)であるという趣旨を読んで興味を持ったからだ。
 なるほど、著者の描く大阪はとてもリアルに見える表現だが、その中にはフィクションが紛れ込んでいるらしい、そしてそれは、この著者が戦争中に言論統制されたこと、すなわちその作品の発表禁止が影響しているのではないのかというような考察であったように思う。
 まぁ、理屈だけ知ってもしょうがないので読んでみる。

 結論としては、この作者は良い、深く考えないで楽しめばよいように書いているが、行間の深読みをすると相当考えさせられそうな内容だ。
 「夫婦善愛」を読んでいると、客観的には決して幸せな境涯ではないのに、なんとなく、幸せそう見えてしまう夫婦の間柄が描かれている、そこには、今は無い何かがありそうなのだ。
 そして、読んでいるうちに、なんとなくつげ義春「李さん一家」を思い出していた。
 (一般的には「三丁目の夕日」のイメージか?)
 それらは、現在から見た過去への憧れの投影であり、もし、その時、その時点に生きていたならば、そんなに善い世の中だったのかと訝るところではあるのだ。
 それは、本書に納められた「世相」のなかで「・・・僕ら現在二十代のジェネレーションにはもう情熱がない。僕らはほら地名や職業の名や数字を夥しく作品の中にばらまくでしょう。これはね、曖昧な思想や信ずに足りない体系に代わるものとして、これだけは信ずるに足る具体性だと思ってやっているんですよ、人物を思想や心理で捉えるかわりに感覚で捉えようとする。・・・」と書かれているところにぽつりと現れているような感じがする(これは、状況が異なるが現代でも使えそうなフレーズでもある)。

 本当に発表したかったこと(「青春の逆説」という著者)が発禁になったこと、それが著者にどのような影響を与えたのか?戦後の壮絶な執筆活動と短命だったことを考えると感慨が深いものがある。
 まさに「六白金星」の楢雄のようではないか?