110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

狂気の構造(小田晋著)

 本書は青土社1990年刊行のもの。
 「狂気の考古学」という着想の元に書かれたもので『現代思想』1978年に何回か連載されたものに、1986年、1988年の文章が増補された増補版。

 というわけで、ここで描かれている若者とは、丁度私の年代であり、当時は「シラケ世代」と言われたようだ。
 その当時の大人から見て、無気力この上ない若者だったようであり、それがおめおめと、今度はおじさん顔して現代をのし歩くのだ。
 そのシラケた奴(私)が今の若者を見て、近頃の若いやつらはなどといえるかどうかは微妙な感じだな。
 そういう観点から見ると、私が若かったときの大人たちは、私よりエネルギッシュであったはずだ、ところが、そのエネルギーの少ない私が、今の若者はエネルギーが足りないなどと言おうものならどうなるのよ?
 もしかすると、これが少子高齢化というやつなのかもしれない。

 ということは、純粋に数の世界なわけだ、若者人口が少ないからエネルギーが少ないのだ!!
 いや、もっと質的な【なにものか】があるのではと思って書き始めたのに、なんということだ。
 そうか、やはり質より量だ、だから、人口減少にともなって活力は減るのだ。
 (じゃ、政府の借金は返せない、どこかで徳政令かな?)

 ということではなくて、本書の精神分析的な考古学的な思考はなかなか難しいところがある、過去の歴史上に現れる、怪奇なものや狂人を現代に投影して考察すると言うことは、その(歴史的・・・年数のこと)飛躍の幅が大きくて、私の狭量な視野には(読んでいて)少しつらいところがある。
 しかしながら、その人の精神状態(正常域だろうと狂気状態だろうと)が、周りの環境に(も)影響されるというところはなるほどと思うのだ(発狂して私は教祖だとわめいていたら、信者ができたので、正常になってしまったというオチ)。
 現在の総理が消費税を政治生命を掛けてあげるというのも、数年前の街頭演説で消費税をあげないと言うのも、環境のなせる業なのだ。
 街頭演説では消費税を上げると言えば、物が飛んで気やしないかとどきどきするだろうし、国会では、後ろに控える官僚の壁があるので、席に戻るときに足を引っ掛けられないかとびくびくしたりする・・・確かに環境だ。
 本当にそうだろうか?